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クイック・ジャパン75

年末進行が終わった。来年の用意とか締め切りがはっきりしないものとかちょこちょこやることはあるのだが取りあえず終わった。疲れた。前にも書いたけど、秋ぐらいからずっと年末進行っぽい忙しさで11月くらいには死ぬ死ぬとか思っていたのだが12月になったらキーボードに触るのもイヤになるほど人間として出涸らし状態になったりもして大変だった。しかし終わったのだ。年が明けてからも忙しそうだけど、この数ヶ月よりはマシであると思いたい。

今月はさすがにこのブログも更新できなかったなあ。ケータイ小説の話で速水健朗さんにすこし引用していただいたのでサウスパークにからめて一筆書きたかったのだが時間が取れなかった。でもこれは、この休みの間にやろう。というかできれば今日書きたいが、書けるのか、書けないのか。それから吉田アミさんにも劇場版「空の境界」のことで言及していただいた。パンフのこと。これも書かなきゃ。で、もう一個書きたいこととしては結構前にQJ75号が発売になっている。前号に続いてPerfumeが載っていて、すごい。第二弾だ。僕が前に書いた「水曜どうでしょう」のときと同じことになっていて、あのPerfumeが、そのくらい誰かに人気があるって、ほんと驚きだ。実際Perfumeは大人気で、おかげで僕はAXもZEPPもチケットがプレオーダーで手に入らなくて目を白黒させた。全くすごいことになった。

とどのつまり僕は自分の好きなものが、広まってしまえばいいと思っている。「いいものを伝えたい」みたいに言えば特に問題なさげだが、しかし僕が思っているのは違う。僕はいつも、飽きられるほどに流通してしまえばいい、氾濫してしまえばいい、どうにかなってしまえばいい、めちゃくちゃ消費されちゃえばいい、そうなったときに、どうなるのか僕は見てみたい、そんなかんじで思ってしまう。それが素敵な結果を生むとは限らないから、それを望まない人もいるはずだ。僕だってなかなかチケットが手に入らなくて困ったみたいなことになったりする。だけど僕はそれによって何が起こるのか知りたいし、それがおしまいにどうなるのか知りたいのだ。それは「いいものを伝えたい」というのとは違うかもしれない。ただ普通じゃない状況が起こっている、何かが変化しているということを誰かに突きつけたいだけなのだ。このブログも、そうでありたい。結局、僕はのっちとセックスしたいわけではなくて、かしゆかと結婚したいわけではなくて、あ~ちゃんを連れて世界の果てに逃げたいわけでもなかったから、だから僕はQJ74号のときからずっと「僕にとってPerfumeって何なんだろう?」と考えていたんだと思う。たぶん、僕はずっとひどいことを望んでいるのかもしれない。状況が尽きてしまうのが見たいのだ。でも、この先がどうなるのか僕は知りたい。胸がどきどきする。

QJ最新号は「ファン・サーヴィス」というか「アフター・サーヴィス」というか、読者が前号を読んでいるとしたら、もうちょっとPerfumeのことを知ってみたいでしょ?どうやって前号の内容に至ったのか気になるでしょ?という内容で、要するに前号よりちょっとだけ突っ込んだ内容になっている。メンバーではなく、周辺スタッフについて取り上げているのはそのためだ。だから前号で「あんまり知らない話が載ってねえなあ」と思った人でも何か知ってトクしたみたいな感覚を得られるはずだ。もっとも、前号が述べたのが「Perfumeは誰にもコントロールされていない」ということである事からもわかるように、裏方についての記事でも「Perfumeの仕掛人」みたいな内容にするのは間違っている。それで今号は、裏方の人に話を聞きながら、Perfumeを見たときにみんなが言う「感動した」「泣いた」っていう言葉について考えることにした。ライブを見たことがない人にはピンと来ないかもしれないけど、Perfumeのライブを見ると感動するっていう人が多いのだ。QJ74号ではその感動の一端でも伝えられればいいと思ったんだけど、今回はじゃあその感動ってどこから来ているんだろう?というレベルになっている。話は少々脱線するけど、これはケータイ小説の話もそうで、誰かが感動するって言ってるものって、それだけですごく面白いって僕は思うし、そこに何かがあると思ってじっくり見てみたい。究極的には、自分がそれに感動しなくたっていいと思うんだ。今はそういう興味の持ち方が今もっとできたらいいなと思う。

そうだ、でも今回、僕が書いたのはとてもだめな記事で、それを謝りたい。なぜかというとリキッドルームのライブ日付を完全に間違えている。これは本当に致命的なことで、謝って許されることじゃない。本当に申し訳ない。完全に自分のミスだ。ケチの付かない状況を用意して不遜に振る舞うのが好きな僕だからこそ、これに気づいたときにはのたうち回った。今でも胸が苦しい。前号はいっぱい誤植があったんだけど、僕の書いたところは自分でわりとしっかりチェックしたのでほとんどなくって、それで正直な話わりとヘラヘラしていた。そういう態度で調子に乗っているから今回はこの体たらくである。こういう失敗が起きた原因はいろいろあるんだけど、言い訳みたいでイヤなので特には書かない。リキッドルームのレポート記事ではせっかく「Perfumeの掟」のことをきちんと書いたのに、とても残念だ。とにかく、過ちはくりかえさないようにしようと思う。次にPerfumeのことを書かせてもらえるチャンスがあれば!

「Perfumeの掟」はDegitalismやJusticeに合わせてPerfumeが踊るということ自体も刺激的だったが、内容自体が本当にすごくよかった。QJにも書いたけど、最初リハで拝見したときは「どうかなあ」と思ったのだ。アイドル自身をロボットとか人形として演出することでアイドルというものを表現させるやり方は、榊原郁恵「ROBOT」でも伊藤つかさ「少女人形」でもいいけど、ともかく昔からたくさん例があるもので、さほどの珍しさはない。ついでに言うと、従ってPerfumeに対していまだにまれに見かける、ロボットっぽさや操り人形的であることこそが彼女たちの新しさであり魅力なのだという評価は、そういう要素がないわけではないけれど、しかし全く正確ではない。少なくともライブを見たことのない人の意見じゃないかと思う。

なぜそう言えるのか。「Perfumeの掟」は端的にその理由を表現した、極めて批評性の高いパフォーマンスだった。このブログでは以前「ポリリズム」についての記事で書いたけど、Perfumeは言ってみれば操り人形やロボット、そしてそれらにたとえられるアイドル(偶像)を前面に出しながら、しかし生身の人間の有りかを示唆するユニットなのだ。まずPerfumeにおいては、彼女たちが人形としてステージに現れることは誰にも自明なのである。スタッフや観客にとってはもちろんのこと、本人たちにとってでさえ、そうである。その状況下でば、Perfumeに科せられる過剰な人工性の演出は、彼女たちが本当に人形かどうかを観客に検証させるために機能する。すなわち、連続する無機質さの中から、我々はついに彼女たちが人形になりきらない肉体を、発見させられるのである。もちろん「発見する」のではなく、「発見させられる」のだ。振り付けの水野先生がQJ75号で言った

でもロボットっぽい動きばかりではなく、歌詞にすごく温かみがある言葉が突然は言ってきたりするので、そこで人間っぽいかわいい振りを入れて。バランスはすごく考えてますね。

というのがそれである。おそらく、同じ考え方で木の子や中田ヤスタカの書いたPerfumeの歌詞が何をやっているのかはつかめるはずなのだ。特に中田ヤスタカのサウンドに注目する人は彼はロボットを作りたいのだと言うかもしれない。けれど、歌詞を見れば少なくともPerfumeにおいて彼はそうは考えていないと思える。特に「コンピューターシティ」などに顕著だと思うのだけれど、彼は「ドモアリガトミスターロボット」的なコンピュータのイノセンスを少女の無垢さや「愛」のような強い感情に接続しようとしているようだ。

町ゆく猫だって空を飛んじゃう町で

この稚気に溢れた書きっぷりだって、もちろんわざとなのである。今のところこのことに着目して論じた文章は宇多丸さんのマブ論くらいしか見たことがない。「Perfumeの掟」は、以上に書いたことを軽く踏まえていた。あのパフォーマンスのキモはもちろん三人が台の上に立って「掟」を述べるところだ。その台にはアイドルである自分の顔が描かれている。実に象徴的なことなのである。彼女たちは自分たちの顔を踏み台にして不安定な場所に上がり、手の届かないところにあるマイクに向かって、制限時間内にアドリブで自分という人間を人々に届かせねばならない。それこそがPerfumeだというのが「Perfumeの掟」という演目だった。これは「完璧な計算で造られた」ロボットを演じさせることとは、もはや真逆なのだ。だからリキッドルームのあの場面でかしゆかがうっかり言い間違えてしまったことはもう本当に奇跡で、実に見事なパフォーマンスだったと思う。

ここからはまだうまく言えない部分だが、Perfumeが面白いのは、これらすべてを「あえてベタに」やってるわけじゃないところだ。Perfumeにおいては「あえて」が取り外されていると思う(書くまでもないことだがこれは「ベタにあえて」でもない)。でも天然とか天才というものとも違って、そのベタさには不思議な形で批評性が内包されている。誰かの到達した地点、使い古した道具立てを援用することをPerfumeは躊躇しない。ついにPerfumeは手法の面では勝負していないのだ。強いて言えば、そのことが手法として新しかった。2007年だった。

ああ、何だか分からないようなことを書いた。もういいから、僕は今からお台場に行く。だってあのライブは本当に良かったんだぜ!あのとき僕は取材に熱中していて、前の方に行くことすらできなかった。いつもそうだけど、取材となるとPerfumeの良さを伝えることに熱中するから、僕はちっともファンとして振る舞えない。だから今度はお客さんとして、もう一度あれを見られるなんて幸せなことだ。

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2007.12.31 | | コメント(4) | トラックバック(2) | [音楽] [文章] [アニメ

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