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ダンジョンメーカー 魔法のシャベルと小さな勇者

ここ2カ月ほどはゲームばかりやっていた。その前は少しもゲームをする気にはならなかったのだが、どうも小説を読まないときはゲームをやっているようだ。いろいろやっているのだが、いま一番熱心にやっているのは「ダンジョンメーカー 魔法のシャベルと小さな勇者」だ。このゲームはPSPの「クロニクルオブダンジョンメーカー」をDS用に作り替えたもので、元とは全然違うゲームになっている。どうやら対象とするプレイヤーがかなり低年齢層らしく、ゲーム自体もそれなりに簡単だ。そのせいかどうかはPSP版をやったことがないので分からないが、しかし「呈示される条件通りのダンジョンを作ってモンスターを呼び込み、内部を探検する」という楽しみ方はあんまりできないんじゃないかと思う。僕は最初「自分でダンジョンを作る」と言われて漠然と「ローグ」とか「不思議のダンジョン」みたいなものを想像していたのだが、結局このゲームは、なるべく効率よくダンジョンを歩き回れるように部屋を並べて宝や食べ物を集めていけばいいわけで、必然的にどのダンジョンも似たような部屋の配置になる。具体的には三方向に部屋のあるブロックを並べた、まるでマンションのように整理された構造を持ったダンジョンを作るのが一番やりやすいのだ。故に探検するためのダンジョンというよりは、効率の良い屠殺場を作っているような気分になる。だからといってこのゲームが面白くないわけでは全くない。むしろ面白い。難易度の低さも相まって、ダンジョンの構築作業は「作業」に近いのだが、その作業の微々たる面倒さがヒマつぶしにちょうどよいと思う。

もっとも、このゲームは初心者向けでありながら、魔法の選択画面で呪文の名前が出ないとか、ワープの魔法がシステムウインドウで開いたときとフィールドで使用するときで上下ボタンの役割が逆になっておりわかりにくいとか、商店で誰がどの武器を持てるか視認できないとか、メニューのページ移動がLRボタンで可能だったりできなかったりする等々、なぜだかシステム面で不親切な面がいっぱいあるのが不思議だ。また、当初、もう少し難しくなる予定だったのではないかと思わせる節もある。手に入れたアイテムを店に売れば無限に増殖可能だとか、とりわけゲーム序盤には有り余るほど手に入るとか、そのせいで倉庫の意味が実質失われているとか、死ぬことによるペナルティが全くないとか、バランス調整に苦労するまでもなく制作者の胸先三寸でどうとでも改変だったであろう部分が妙に簡単すぎるようにできているのだ。「ここがこうだったらほどよい難しさだっただろうなあ」と思うことが多すぎる。だからひょっとしたら最終的な段階で「やっぱ子供向けのゲームにするというのがPSP版との違いなわけだから、簡単すぎるくらいにしよう」という判断があったのかなあなどと思うわけである。しかしそのように不自然な簡単さはあっても、後半になると部屋の値段が高くなって金欠気味になり、ダンジョン作りの作業の面倒さがいくぶん増していくという微妙なバランス調整はいい感じで効いていると思う。また後半に行くにつれてパラメータを強化するための食材集めが面倒になるのもいい。

だがこのゲームを熱心に僕が続けた最大の理由は、とにかくテキストが面白いからだ。難易度を易しめにしてあるからといって、このゲームにはいい加減な物語が載せられていない。たしかに物語はライトなタッチで面白おかしく進行するが、書き手が非常に丁寧である。メモを取っていなかったので正確に書けないが、物語の核であるはずのシャベルが「アレがアレだな!」と言ってマトモに会話を行わなかったり、ボス戦では必ずどこかに隠れてしまったり、手に入れたアイテムが以後は勝手に商店で売られはじめることについて「大人の事情だ」と言ったりするようなギャグは、単に大人が子供向けに書いているという感じではなく、コミカルなテキストとして誰でも楽しんで読めるものになっている。個人的には苦労してようやくボスを倒したときに「一回り大きくなったな!(持ち物を入れる袋が)」みたいなことを言うのが面白かった。ヒロインであるメイミのツンデレぶりもよい感じだし、ぼーっとしているだけだった主人公が次第に勇者という職業について考えていく心理描写も巧みで、成長物語として十分楽しめると思う。この手のゲームにおけるライトな文章というのは、子供向けだから易しい内容にしようとしたあげくに単に子供だましにして手を抜いたり(全く子供をバカにしていると思う)、そうでなくても読み手を楽しませるということを誤解してゲーム好きやオタク向けの内輪ネタみたいなことを延々と書くものが多くて僕は好きではないのだが、このゲームは万人に受け入れられる今風のテキストを非常にまじめに書いていて好感が持てる。このようなライトユーザー向けのリメイク作が丁寧にライトなテキストを書いているというのは、本来そうであってはいけないことなのだが、全く意外なことだった。こういう文章のほうが単に重苦しいばかりのものを書くよりもずっと難しいことだと思う。

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2008.01.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [ゲーム] [文章

STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2008年 02月号

そろそろまじめに仕事を始めよう。遅すぎ。今日から久々にジョギングを再開した。何ヶ月ぶりか。やっぱり寒い方が走りやすいな。でも走り終わったあとでしばらくしてやっぱり踵が痛くなってちょっとやな感じ。

僕は去年が始まるときに「オラもうこうなったらいろいろやってヤンヨ」みたいなことを言っていたんだけど、今年はもっとさらにやろうと思う。やるというか、したい予定なのだけど、仕事がなかったら自分で作ってでもしようと思う。今年は、なんとなくみんな、よい書き手も含めて、(ますます?)アカデミズム方面に行くような気がする。しかしみんなが象牙の塔に向かうのは当然というか、今はそこしか受け入れ口がない時代なのだと思う。でも「本当はそうじゃなくてもいいんだもんね」と少なくとも90年代を知ってる人は言ってもいいはずなのだ。たぶん知らない人には全く受け入れられないことだと思うけど、だから僕はどんどん軽薄にテキストを書いていたい。イタロ・カルヴィーノは「新たな千年紀のための六つのメモ」の中で21世紀に何が必要だと言ったか。それは「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」そして「一貫性」だった。僕はそればかり気にしている。今年はますますそれに注意してものを書きたい。そしてそれがずっとずっと若い読者に届くのが理想だけどなあ。

ということで「スタジオ・ボイス」の今号は「週刊少年ジャンプ」の特集なのだが、ここで僕もいくつか書いている。届いた見本誌を、今ようやくちゃんと頭から読んだ。ここで僕が、中でも巻頭のリードを書かせていただけたのはたいへん光栄なことだと思う。リードというのは特集にとって一番大事なものだと思っているので。この特集ではリードのほかに「今有効な50作品」というのとジャンプ作品の変遷を説明する年表を作っている。最初はたしか別のものを書く予定だったような気がするが、何か年末進行ということもあり、紆余曲折あってこの内容になった。特に年表は、僕は普段から「マッピングやランキングばかり氾濫させるのはイヤだ」みたいなことを言っているわけで、そういう僕がこういうものを作るのはかえって面白かった。テーマとしては創刊から今までジャンプ作品の系譜は切断されることなく続いてきたということと、そこでフィクションがどのように挫折し、そして復権したかということで、ちょっとした批評的な意図をもって作品を並べてある。時間がなくて注釈をちゃんと入れられなかったのが心残りなのだが(この年表は少ない資料を見ながらINFASの会議室で半日かけてフリーハンドで作ったのだ)、表自体は結構ちゃんと各作品を意味づけして流れを説明した面白いものになっているのでお暇な方はぜひご覧ください。

特集全体としては更科修一郎さんがメインライターでものすごい仕事をしているので興味のある人はぜひ読んでください。僕も企画段階で品川編集長に「こういう特集はヤダ!」「こういうのにしてほしいんだもん」みたいなことをあれこれ言ったんだけど、僕が心配して口出しするまでもなく理想的な内容の特集になっているのでよかった。僕が言ったのはジャンプの40年を全肯定したいということで要するに懐古主義的なばっかりで今の「ジャンプ」を認められないようなものはダメだし、でも過去を打ち棄てて今のマンガを単にマッピングするようなのもやっぱりイヤだということだった。今はとにかく何かを否定して自分の立場を確保するのが優れた読みであるかのように思っている人が一定数いて、だからジャンプについては「あの頃は良かったけど今はダメだ」とか「昔のマンガはつまらん老人死ね」みたいな意識がなんだか一般の消費者にまで行き渡っているようだ。このことはジャンプに限らず、マンガに限らず起こっていることで、たとえばこないだ書いたPerfumeのことだってそうなのだ。そういう状況において、少なくとも、曲がりなりにも作品を論評しようという人間であるならば、そのような読みが一般に浸透しているということも含めて状況を語っていくのが当然だと思う。「ジャンプ」という素材はそれができる書き手かを推し量るのに最適ではなかろうか。この号の座談会では伊藤剛さんが「女性読者のすべてが腐女子じゃないし、腐女子だからといって別に男子の同性愛として読める漫画ばかり待ち望んでいるわけではない」という当然指摘されてしかるべきことをはっきり言われており胸のすく思いだった。「ジャンプの黄金期は『ドラゴンボール』のころで、今はオタク女子のためのつまらないマンガが載せられている」などと嘯く読み手はこのインターネットにも掃いて捨てるほどいるが、そういう意見は「昔はよかったなあ」とか「今のマンガが嫌いです」みたいなことを書いているだけで実は何か見るべき真実を呈示しているわけではない。少なくとも客観的とは言えないのだし、格別に慧眼でもない。でもなぜか今はそういうものが高度なのだという手合いが大手を振って歩いていて、どうかすると職業的に作品を論じるような人までそのようなことを言って鼻白む思いをさせられることが多い。自分の好きな作品を褒めそやすのはともかく、それ以外の作品が雑に否定される謂われはどこにもない。たとえ新しい作品が、ほかの作品の否定から生まれ出るとしても。いっそ教えてほしいのだが、我々がやりたいのは作品を単に褒めたり、貶すことなのだろうか?あるいはそれによって誰かとの語らいを持続することだけが目的なのだろうか?いずれにしても、そこでは常に作品自体は見過ごされているに違いない。

2008.01.10 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [文章] [マンガ

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