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相対性理論「ハイファイ新書」

ずいぶん急な話で申し訳ないのですが、告知があります。本日2009年1月25日(日)深夜25時30分よりTBSラジオの「文化系トークラジオ Life」にゲストで出演します。レギュラーの出演者はcharlieこと鈴木謙介さん、佐々木敦さん、津田大介さん、斎藤哲也さんです。津田さんにお会いするのは1年くらいぶりだろうか。テーマは「未知との遭遇2009」となっていて、僕はこのブログの内容に似通った話をするかもしれません。テーマや出演者にご興味を持たれた方、良かったら聴いてみてください。放送後に、ポッドキャスト配信によるダウンロードもたぶんできると思います。詳しくは番組ホームページでどうぞ。

と、大事な用があるときに限って風邪をひく。熱が出て喉が痛く、身体がだるい。最悪だ。

あと相対性理論「ハイファイ新書」も発売日には聴いていたのに、ここに書こうと思いながらこんなに時間が経ってしまった。聴いて、まず最初に思ったのはTHE・天久聖一 with ギ・おならすいこみ隊「モテたくて…」(日射病撲滅キャンペーンソング)に似ているということだ。冗談ではなく決然とその話を書こうと思いながら延び延びになっていたら、「Waste Of Pops 80s-90s」さんも「人生と同質のセンス」と書かれていたので、あながち間違っていないと思う。では何が「モテたくて…」に似ていると思ったのか。

「ハイファイ新書」は「シフォン主義」よりももっと明確に歌詞とボーカルが「かわいいもの」「女性的なもの」に向けられていて、歌い方もやけに艶っぽい、少女のエロチックさみたいなものを強調した歌い回しが多い。呼吸の使い方もエロい感じだ。例えば「バーモント・キッス」における「世界征服やめた」の「征」にかかる声。「学級崩壊」の「崩」の表現。「ルネサンス」での「ルネサンスでいちにの算数」と言う気取った声。あるいは「さわやか会社員」における「さ」もそうである。そんなふうに、どこがそうだと指摘できる程度にはクセのついた歌い方をしている。そのようにしか歌うことができないのか、意図してそう歌っているのか、いずれにしてもそういう表現を「シフォン主義」よりも好んでトラックに残している。

しかし面白いのは、この不思議少女的なエロさを表現する歌唱が、歌詞によって表現されるある情動を表現するためには全然使われていないというところだと思う。おそらく今、相対性理論がやろうとしているのはそういうことで、それが今このバンドの核になっている。楽曲として「かわいいもの」「少女性」「切なさ」などを表現するための要素で構成されているにもかかわらず、実際には彼らの歌は具体的なエモーションを欠いている。切なそうな言葉が歌詞に頻出していても、指し示している情景を持っていない。「優しさだけじゃ恋は辛い」と言いながら、その言葉はシリアスな実感として述べられているのではなく、我々が「切なさ」を響かせるために選ばれていると言った方が正しい。おそらくこのバンドが人気を博しているのはそこで、我々が彼らの歌に刺激されて抱く感情は、歌詞から与えられる漠然としたイメージを我々自身が補って成り立っていると言っていい。我々は想像の中で我々自身の相対性理論を膨らませることができることに面白さを感じている。

そこが、僕が「モテたくて…」に似ていると思ったところだ。あの曲で天久聖一が「ガリバー!」とか「ピッチャー!」と叫ぶとき、そこには実体としてのガリバーとかピッチャーがいるわけではない(当たり前だ)。あれは「デカいもの」「カッコいいもの」のスゴさを強い表現力でもって喚起させるためだけに間投詞的に投げかけられた言葉なのだ。天久聖一のマチズモと相対性理論の少女性は、いみじくも対になって同じことをやろうとしている。

上記のようなコンセプトは、アルバム全編を通してよく表現されていた。サウンド的にも、「Waste Of Pops 80s-90s」さんも指摘していたが、前作にあったようなUKギターロックの要素は消えて、ポストパンク期のポップミュージックみたいな調子で(ジャンル選択のエキゾチックな方向性も含めてそう思った)よくまとめられていると思う。トータルアルバムとしていい出来だ。ただ、その代わり何がどう結合して噴出しているのか分からないような面白さがあった「シフォン主義」とは違う魅力を伝えるアルバムになっているのは間違いないだろう。「シフォン主義」を想像しているとコンサバティブな印象を受ける内容かもしれない。また、ばるぼらさんが「CDの完成度のわりにはライブが上手くない」と書かれていたが、最近は録音物を踏まえた上で、演奏の上手い下手はともかくとして身体性を表現するミュージシャンが注目される傾向にあるので、相対性理論がそうでないのならちょっと変わっているなと思う。そつなく(または、そつないように振る舞いながら)完成度の高い録音物を作りつつライブが下手なのならば、懐かしい渋谷系のミュージシャンの一部が持っていたレコーディング偏重っぽさがあるのだろうか。まあ僕はライブを見ていないので、実際がどうであるかは分からない。

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2009.01.25 | | コメント(2) | トラックバック(0) | [音楽

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