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RE:EV

不思議なことに、冬コミで批評系の同人誌を出すことになった。「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」についての本で、タイトルは「RE:EV」という。同人誌に寄稿したことは何度かあるけど、自分で作ったことは一度もない。

先に頒布される日時などを書いておくと12月31日(冬コミ3日目)の東京ビッグサイト。ブースは「壁の彩度」さん(東1 C14b)と「ピアノ・ファイア・パブリッシング」さんの(西1 れ13b)の2ヶ所に委託で置かせていただきます。これ、かなりすごい内容なので、ぜひお買い求めください。

装画とカラー口絵、そしてブックデザインは壁の彩度さんとI.S.Wの柊椋さんに全面的に協力してもらいました。これが素晴らしい。評論の本には見えないカッコいいデザインになっています。僕はめったなことで自分のサイト上に画像を貼ったりしないのだが、見せた人の誰もが「いいね!」と言ってくれる素敵な書影をここに貼ります。

RE:EV

さて、この本がどういう本かというと、以下のようなものです。

RE:EV

表紙=TNSK(壁の彩度)
カラー口絵=TNSK&saitom(壁の彩度)

【巻頭言】
あれを見て何かを思ったはずなんだ、僕はどうしてもそれを言葉にしたい / さやわか

【レポート】
一四歳女子の観た新劇場版ヱヴァンゲリヲン:破 / 飯田一史

【アンケート企画・ヱヴァを見た!】
寄稿者:ミンカ・リー(ニコニコ動画の伯爵のメイド)/REDALiCE(ALiCE'S EMOTiON運営)/今日マチ子(漫画家・イラストレーター)/施川ユウキ(漫画家)/TNSK(イラストレーター)/サカイ テッペイ(大学院生)/土屋亮一(シベリア少女鉄道 作・演出)/佐藤大(脚本家)/植草航(アニメーション作家)/柳谷志有(デザイナー)/川名潤(エディトリアル・デザイナー)/saitom(デザイナー)/youkiss(My Favorite Thingsオーガナイザー/サークル壁の彩度代表)

【インタビュー】
きみまるインタビュー・二次創作の幸福と「気持ち悪」さ ――『RE-TAKE』をめぐって / 聞き手・構成 坂上秋成
我々は何を作ろうとしていたのか? 山本充(青土社『ユリイカ』編集長)インタビュー / 聞き手・構成 さやわか

【論考】
エヴァを壊すこと、鏡を割らないでいること ――『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』について / 長岡司英
私たちの望むものは、くりかえすことではなく / 七里
坂本真綾――真希波・マリ・イラストリアスへの長い道 / 飯田一史
ループの詐術に抗い、『EOE』を肯定すること / 前島賢
アイ・ケア・ビコーズ・ユー・ドゥー/I Care Because You Do / 西島大介
「新本格とエヴァ」試論 / 蔓葉信博

【付録】
年表:不在のアダム/すべてがエヴァになる 正典を夢想する人のためのEVANGELION年表 / さやわか

すごすぎる執筆陣だ。僕の手腕でも何でもなく、飯田一史さんや西島大介さんに手伝ってもらいながら企画を一緒に考えてもらって、原稿を集めてもらったりすらしたのだけれど、それにしてもすごすぎる!

この本で僕は文章はあまり書いていないし、企画も原稿もデザインもいろんな方にぜひとお願いした。僕は原稿を印刷所に入稿してお金を出して印刷したくらいのことだ。ではなぜ僕はこんな本を作ったのか。

僕は過去に「破」についてはブログに書いていて、その後にWEBスナイパーで泉信行さんと村上裕一さんと鼎談をしたのだが、個人的には紙のメディアに「破」についての人々の意見がまとまっていないことに不満があった。

それで、とある雑誌で「破」の企画があって、僕も文章を書いたのだが、いろいろな経緯があってその本は出なかった。そのへんの事情についても同人誌の中にちょっとだけ書かれているが、ともかく僕はすごくガッカリした。もちろん、エヴァが表紙になったり、作品の見どころを紹介したり、制作者インタビューが掲載された雑誌などもあったのだが、僕が読みたいのはそんなものではなかった。あの映画を見た、性別や世代や職業や立場を異にする、たくさんの人たちが何を思ったのか。どう受け止めて、どう応答するのか。本当は、雑誌はそういうものを見せることができたはずなのだ。インターネットでそういうものが書かれていても、それをずらりと並べてみることはできない。それを褒めるべきか、貶すべきかみたいなことがまずは問われるような議論には付き合ってられない。連中がタレ流している音楽なんて、僕の人生に何の関係もない。何かを言わずにいられないような何かがあるからと、とにかくざわざわと人々が呟くのが見たいんだ。だって、そういえばかつての「新世紀エヴァンゲリオン」だってそういうものだった。

そういうことを言っていたら、ある人が、「ならばあなたが作ればいいのではないか」ということを言ってくれた。これにははっとした。僕は昔から、インターネットで空気なんか読まずにえらそうなことを言ったら、言いっぱなしにせずに意地でも自分は発言に沿えるようにしてきたつもりだ。そうでないと、自分の言ったことを裏切ることになる。だから僕はやらねばならない。もう、絶対に、意地でも、やるのだ。

たくさんの人たちによる、たくさんの意見、そういう本は作ることができた。しかも、この本の論考はどれも本当に素晴らしいのだ。すごい読み応えがあって、編集者としてできた仕事として、珍しく気に入っている。カラー口絵付きで80ページ、1000円です。素敵な原稿が揃った、間違いなく損のない本なので、どうかぜひどうぞ。

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2009.12.24 | | コメント(25) | トラックバック(2) | [アニメ] [文章

口口口「everyday is a symphony」

ゼロ年代ってのが終わろうとしていて、僕もまた、この10年が何だったかということについて考える。もちろん、今年のベストディスクは何だったかとか、そういう人並みのことを考えようとも思っていた。しかしどちらも、ついこの間まで、特にこうだという考えはなかった。

ところがちょうど今月、口口口のニューアルバムが出て、僕はこのアルバムこそゼロ年代を総括して、次の10年に何が起こるかを示してみせる、すごいアルバムだと思った。もしも2010年代がどんなものかと言うなら、いや控えめに書くとしても、僕がゼロ年代後半から2010年代の前半をどんなものだと考えているかを言うには、このアルバムを紹介するのが近道だと思う。つまりこのアルバムは一聴してすぐに僕にとっての2009年のベストになったし、口口口のこれまでのアルバムのベストになったし、ゼロ年代を語る上で外せない価値を持った一枚になったのだ。

僕がこのアルバムにふれたのは、11月の頭にナタリーで口口口の三浦康嗣さんといとうせいこうさんにインタビューさせていただくことがあって、その資料として聴かせてもらったのが最初だ。このインタビューは、会話の音が口口口によって録音され、三浦さんがそれを元に曲にしてくださった。つまり口口口の声に混じって僕の声がサンプリングされて使われているのだ。これが、すごく、すごい。とてもいい曲だし、このアルバムの思想を伝えている音楽なので、ぜひ聴いてください。

口口口がなぜこんなインタビューをやっているかというと、今回のアルバムの手法としてフィールドレコーディングを採り入れているからだ。つまり、室内や野外でテレコを回して録音した音をサンプリングソースとして使い、楽曲を作っている。電車の発車ベルをループにしてメロディを奏でたり、桶で水を汲む音を使ってビートを刻んだり、鳥の声をさまざまなピッチで鳴らしてシンセのような効果を生んだりしている。

さて、ここでフィールドレコーディングという手法は、一見するとこのアルバムにとってアーティストの「いまここ」、音楽の現場性を伝えるために機能しているように見える。ゼロ年代の音楽においては、また他のカルチャーにおいても、アーティストのナマの感情、ナマの実感、ナマの状況というものが大きな価値を持つようになっているから、このアルバムではフィールドレコーディングがそれを伝える仕掛けとして働いているようだ。

しかしここで注意すべきなのは、口口口はデビュー当初から単なる現場主義は通過しているということだ。2004年のファーストアルバム「口口口」とセカンドアルバム「ファンファーレ」の二枚、これらの極めてポップなアルバムによって、彼らは90年代後半からゼロ年代初頭にかけて先鋭的なリスナーやミュージシャンが選択した抽象性――たとえばそれは「アブストラクト」とか「音響派」のようなジャンル名に象徴される――に異を唱える。その抽象性とは大文字の「音楽」を維持して音楽の全体性がゼロ年代以降にも継続することを偽装するためのものだったが、それが隘路であり、かえって作品の射程をどんどん狭めていることは明らかだった。口口口はそれを批判して90年代を完全に終わらせるために、バンドスタイルで「アーティストの等身大」に見えるポップスという具体性を示したのだ。それが2004年だった。

だから、2009年末であるいま、口口口のフィールドレコーディングを指して、これは現場性を表現したアルバムだなどと単に言ってはいけない。我々は本当に注意深くあるべきで、ここではむしろ、ゼロ年代が現場性を重視したことに対する批評が行われていると見るべきである。つまり口口口は、録音されたものは本来、現場そのものと一致させられないというシンプルな事実に我々を立ち返らせようとする。彼らはフィールドレコーディングによって集められた音源を、すべて楽曲を構成する素材としてしか見ていない。そこにはソースが内包する空気感(現場性)やリスペクトの意識が重視された従来のサンプリングに対する意識と真逆であるかのようだ。彼らはソースを徹底的に切り刻み、別の意味づけを行い、別の文脈を作り上げることに躊躇しない。

ところが、口口口はそうすることで楽曲の現場性を否定するわけではない。彼らは電車の音によって東京という都市に生きることを、水の音によって温泉のレイドバック感を、卒業式の音によって青春の切なさを、全く豊かに表現している。それは偽装されたものではなく、やはりメンバーの実感として間違いなくそこに存在している。彼らは編集された音源からエモーションが立ち上ることを否定していない。言い換えれば、現場性やエモーションは作品に本来的に宿るわけではなく、ポップスを成り立たせる編集課程によってこそついに生み出されるのだと熟知している。口口口はここで現場性や感傷への安易な傾倒を慎重に退けつつ、誠実にそれらを立ち上らせようとするのだ。

このアルバムは、それをダイレクトに表現している。それはゼロ年代の現場主義に対する批評であり、彼らがこれまでリリースしたすべてのアルバムへの批評でもある。そしてなお、ゼロ年代後半からの表現、今やあと数日で始まろうとしている10年代前半の表現にとって、この編集への意識というものが一つの鍵となるだろうことを、高らかに宣言している。

2009.12.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [音楽

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