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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

9月上旬は飛ぶように過ぎた。全く僕には一瞬にすら思われた。でもようやく久々に忙しく走り回らなくてもいい一日があって、昼に起きて白いご飯と味噌汁と塩辛で食事にしたら何だかとても気分が落ち着いた。それで僕はついに映画を見に行くことにしたのだ。

どうせ三軒茶屋かどこかで見られるとばっかり思っていた。誰もが注目している、いっとう大事な映画なのだから、どんな映画館でも今はこれをかけているに決まっているんだと勝手に思いこんでウェブで確認したが、実際そんなことはなかった。それで結局は渋谷に出向いてバイクを駐車できなくて、新宿まで行った。

正直な話、僕は「新世紀エヴァンゲリオン」という作品について文章にしたことがほとんどないのだ。

僕が初めてこの作品を見たのはテレビの本放送で、そのとき見たのは「第弐拾弐話 せめて、人間らしく」だった。スーパーファミコンのゲームを遊び終えた僕はテレビを付けっぱなしにしたまま寝ていたのだが、目覚めてみるとハレルヤの合唱をBGMにした何だか全く不可解なアニメが演じられていた。不可解というのは解読不能というわけではなくて、注目に値したのはこれが明らかに解読されることを待っていたということだった。

僕はずっとアニメも漫画も嫌いじゃなかったけれど、90年代に入ってから特にアニメは「アニメファンを喜ばせよう」という制作者たちの意図が(誓って彼らの名誉のために言うのだが)ただ彼らが力不足であるが故にアニメというジャンル全体を、内省的ですらない、内向的なものにさせようとしていた。だから僕はテレビアニメなんてほとんど見なくなっていたのだけれど、だけどそのとき偶然に見たおかしなテレビアニメは、どうやら主人公サイドがロボット戦で勝利したらしいラストシーンで赤いボディコンシャスな戦闘スーツを着た女の子がなぜだか泣き続けていて、そして「立入禁止」と書かれた寒々しいテープがリアリズムを主張していた。そのあと明らかにただのイメージボードとおぼしき手描きの絵を映し続ける次回予告を見るにいたって僕はこれが我々が抱えてしまった困難な問題を必死で表そうとしているものだと気づき、その蛮勇に体が熱くなった。今テレビアニメで何か大変なことが起こっているのだと知って、次の日会った人に前日見たものについて話してみたがうまくは語れなかったのを覚えている。

その後、新世紀エヴァンゲリオンというアニメについて書かれたものをいろいろと読んだ。当時僕がずっと不満だったのは、今ではむろん考えられないことだと思うのだが、あれを語るやり方で流行っていたのが主に心理学を根拠に据えてキャラクターたちの精神分析を行おうとする、つまりあの物語をただ現実の模倣として扱うようなものであり、あの作品が物語そのものについて語っていることなんてほとんど誰も何も口にしなかったことである。

しかし、それが僕にとってとても大事な問題だったから苛立ったのに、だからといって僕も何も言わなかった。僕は関連書籍や雑誌やインターネットを黙って見て、だけど自分からは何をも語ろうとはしなかった。何も言わずに、あれを作った誰か(そんなの誰だってよかった)が早く何か解答を示して困難な状況を打ち破ってくれるのを待ち続けていた。だから僕は、その後作られた映画だって見たのだ。見てそして、僕はずっと待っていただけだったから、結局その映画が終わったときに到達した場所を見て、そしてへこたれたのである。

エヴァンゲリオンの新作が作られて、見る前に思ったことはオリジナルのエヴァが特別な存在じゃないということが分かるだけじゃないだろうかということだった。エヴァから始まったこの12年が僕らに示したのは、結局そういうことだった。エヴァのバリエーションは今や無数にあって、僕はそのすべてを許容できる。たとえそれがパチンコ台であっても一向構わない。僕はそれでいいけれど、しかしオリジナルを作った人たちが今なお自らがオリジナルであることを主張するのであればそれは辛いことになるだろうと思った。

結果として僕はその新たな物語の力強さを誇らしく思った。初号機が発進するときにワクワクしたし、陽電子砲を再び撃つために立ち上がるシンジの姿に感動した。しかも、作り手は自分たちの物語もまたバリエーションの1つに過ぎないということを折り込み済みで作品を作ってみせたのである。次回予告にいたっては「次第に壊れていく碇シンジの物語」とハッキリ口にしてみせた。ここまで示唆的なことがあるだろうか。その上で彼らは大団円を目指すのだ。けれど、やはり僕はそこでもう「ありがとう」とは思わなかった。もちろん「おめでとう」という言葉が思い出されるのだ。これは明らかにあのころエヴァンゲリオンを見た人へ向けて作られていて、そういう人のために作り手はもう一度物語をやり直そうとしている。だけど12年を経て、今ならそれができるようになったのだということが僕にだって分かっている。ひょっとしたら、見に来た誰しもに分かっていることなのかもしれない。思えば最初からずっとエヴァンゲリオンは僕らと同じ問題を共有していたし、そして今これが作れるということを、作り手も視聴者も共に祝えるときなのかもしれない。

全然、そうではないのかもしれない。「破」ではすべてがひっくり返されるのかもしれない。僕が12年で得た自信なんて淡く消し飛ばされるのかもしれない。またイメージボードの長回しが始まって僕らを痛めつけるかもしれない。引き際でそう思わせてくれるのが、まさにエヴァンゲリオンというあの物語の懐かしいやり口であった。でも僕は、ずっとそれが好きだったのだ。次回がとても楽しみだ。

2007.09.17 | | コメント(4) | トラックバック(2) | [アニメ] [マンガ

コメント

素直におもしろかったです。
スタッフの充実ぶりに感化されたような気持ちでした。
続編が楽しみです。

2007-09-19 水 16:32:41 | | lapin #mQop/nM. [ 編集]

lapinさん、コメントありがとうございます!!
もう、面白かったですよね。面白がらせてくれました。
それプラス、海とかLCLが赤くなってるとかミサトの部屋に「週刊JIDAI」が置いてあるとかビールの銘柄でラガーが増えてるとかUCC缶コーヒーが既に登場しているとか、そういう細かい部分で旧作を見た人が何かを言いたくなるようになっていて、ああエヴァってこういうのだよなあと思いました。サービスってやつなんですけど、それと物語のダイナミズムが両立できるという発見がこの12年にはあったのだな、と感慨深く思いました。旧作と新作が繋がっているか否かというのは古いファンにとって議論になることかもしれませんが、作り手がどっちとしても見られるものを自覚的に、そしてとても外連味に満ちて作っているのが喜ばしいことだったと思います。

2007-09-21 金 13:25:08 | | ソメル #- [ 編集]

「エヴァのバリエーションは今や無数にあって、僕はそのすべてを許容できる。」
はじめまして。
一読させていただいて、
この言葉がすごく強烈でした。

TV版公開時、私は中学生だったのですが、
同級生の(よりにもよって)ヤンキーな男子が
真っ先にエヴァにハマり、
教室にエヴァの18禁二次創作本を
持ち込んで見せびらかしていたのを
思い出しました。

コピー文化、二次創作、
やっぱり「時代」が求め創った
アニメだったんだな、と
再認識させられました。

2007-10-02 火 15:17:31 | | 紫式子 #IY7bLZJE [ 編集]

紫式子さん、コメントありがとうございます!

いただいたコメントを拝読して、ガイナックスがウェブでの自社作品の画像転載をガイドラインを作成して、積極的に認めていたことを思い出しました。当時としては画期的な事だったと思います。作品がさまざまな形で広がっていくことに、会社自体が可能性を見いだしていたのかなとも思います。

2007-10-15 月 09:23:21 | | ソメル #- [ 編集]

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