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STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2008年 02月号

そろそろまじめに仕事を始めよう。遅すぎ。今日から久々にジョギングを再開した。何ヶ月ぶりか。やっぱり寒い方が走りやすいな。でも走り終わったあとでしばらくしてやっぱり踵が痛くなってちょっとやな感じ。

僕は去年が始まるときに「オラもうこうなったらいろいろやってヤンヨ」みたいなことを言っていたんだけど、今年はもっとさらにやろうと思う。やるというか、したい予定なのだけど、仕事がなかったら自分で作ってでもしようと思う。今年は、なんとなくみんな、よい書き手も含めて、(ますます?)アカデミズム方面に行くような気がする。しかしみんなが象牙の塔に向かうのは当然というか、今はそこしか受け入れ口がない時代なのだと思う。でも「本当はそうじゃなくてもいいんだもんね」と少なくとも90年代を知ってる人は言ってもいいはずなのだ。たぶん知らない人には全く受け入れられないことだと思うけど、だから僕はどんどん軽薄にテキストを書いていたい。イタロ・カルヴィーノは「新たな千年紀のための六つのメモ」の中で21世紀に何が必要だと言ったか。それは「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」そして「一貫性」だった。僕はそればかり気にしている。今年はますますそれに注意してものを書きたい。そしてそれがずっとずっと若い読者に届くのが理想だけどなあ。

ということで「スタジオ・ボイス」の今号は「週刊少年ジャンプ」の特集なのだが、ここで僕もいくつか書いている。届いた見本誌を、今ようやくちゃんと頭から読んだ。ここで僕が、中でも巻頭のリードを書かせていただけたのはたいへん光栄なことだと思う。リードというのは特集にとって一番大事なものだと思っているので。この特集ではリードのほかに「今有効な50作品」というのとジャンプ作品の変遷を説明する年表を作っている。最初はたしか別のものを書く予定だったような気がするが、何か年末進行ということもあり、紆余曲折あってこの内容になった。特に年表は、僕は普段から「マッピングやランキングばかり氾濫させるのはイヤだ」みたいなことを言っているわけで、そういう僕がこういうものを作るのはかえって面白かった。テーマとしては創刊から今までジャンプ作品の系譜は切断されることなく続いてきたということと、そこでフィクションがどのように挫折し、そして復権したかということで、ちょっとした批評的な意図をもって作品を並べてある。時間がなくて注釈をちゃんと入れられなかったのが心残りなのだが(この年表は少ない資料を見ながらINFASの会議室で半日かけてフリーハンドで作ったのだ)、表自体は結構ちゃんと各作品を意味づけして流れを説明した面白いものになっているのでお暇な方はぜひご覧ください。

特集全体としては更科修一郎さんがメインライターでものすごい仕事をしているので興味のある人はぜひ読んでください。僕も企画段階で品川編集長に「こういう特集はヤダ!」「こういうのにしてほしいんだもん」みたいなことをあれこれ言ったんだけど、僕が心配して口出しするまでもなく理想的な内容の特集になっているのでよかった。僕が言ったのはジャンプの40年を全肯定したいということで要するに懐古主義的なばっかりで今の「ジャンプ」を認められないようなものはダメだし、でも過去を打ち棄てて今のマンガを単にマッピングするようなのもやっぱりイヤだということだった。今はとにかく何かを否定して自分の立場を確保するのが優れた読みであるかのように思っている人が一定数いて、だからジャンプについては「あの頃は良かったけど今はダメだ」とか「昔のマンガはつまらん老人死ね」みたいな意識がなんだか一般の消費者にまで行き渡っているようだ。このことはジャンプに限らず、マンガに限らず起こっていることで、たとえばこないだ書いたPerfumeのことだってそうなのだ。そういう状況において、少なくとも、曲がりなりにも作品を論評しようという人間であるならば、そのような読みが一般に浸透しているということも含めて状況を語っていくのが当然だと思う。「ジャンプ」という素材はそれができる書き手かを推し量るのに最適ではなかろうか。この号の座談会では伊藤剛さんが「女性読者のすべてが腐女子じゃないし、腐女子だからといって別に男子の同性愛として読める漫画ばかり待ち望んでいるわけではない」という当然指摘されてしかるべきことをはっきり言われており胸のすく思いだった。「ジャンプの黄金期は『ドラゴンボール』のころで、今はオタク女子のためのつまらないマンガが載せられている」などと嘯く読み手はこのインターネットにも掃いて捨てるほどいるが、そういう意見は「昔はよかったなあ」とか「今のマンガが嫌いです」みたいなことを書いているだけで実は何か見るべき真実を呈示しているわけではない。少なくとも客観的とは言えないのだし、格別に慧眼でもない。でもなぜか今はそういうものが高度なのだという手合いが大手を振って歩いていて、どうかすると職業的に作品を論じるような人までそのようなことを言って鼻白む思いをさせられることが多い。自分の好きな作品を褒めそやすのはともかく、それ以外の作品が雑に否定される謂われはどこにもない。たとえ新しい作品が、ほかの作品の否定から生まれ出るとしても。いっそ教えてほしいのだが、我々がやりたいのは作品を単に褒めたり、貶すことなのだろうか?あるいはそれによって誰かとの語らいを持続することだけが目的なのだろうか?いずれにしても、そこでは常に作品自体は見過ごされているに違いない。

2008.01.10 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [文章] [マンガ

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