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劇場版「空の境界」 第二章「殺人考察(前)」

※末尾に追記があります

いやあ忙しい。忙しいばっかり言ってちゃダメだな。じゃあ忙しくありません。いや、それは嘘だ。とにかく忙しい。忙しい中で、劇場版「空の境界」の第2章を池袋に見に行く。もともとテアトル新宿でしか上映していなかったのが、好評に付き上映館が増え、モーニングやアンコール上映が増えている。おかげで今は2月9日の第3章公開を前にして、第1章と第2章の両方が見られる状態になっている。

朝10時の池袋テアトルダイヤは満席でびっくりした。平日の朝に、どこから来たのかというほど人が集まってアニメをみんなで見るというのは安穏とした空気が感ぜられて僕はけっこういいなと思った。きょうび、いっぱいになっている映画館で映画を見ることが少ない。いっぱい人が入っている作品もあるのかもしれないが、僕はこんなにたくさんの人と一緒に見たのは久々だ。上映館を絞ったおかげで、そういう思いができたことが、とてもよかった。大昔に大阪の、今はなきミュージアムスクエアで「唇からナイフ」などを見たころ、あそこはもちろん小さな映画館ではあったんだけど、席がいっぱいになっていて、若い僕は似たようなものを好むたくさんの人とフムフムって感じで映画を見た気がしてうれしかった。空の境界も、そのころの僕ぐらいの年齢の人にとってそういう映画だったらいいなあと思う。

僕は奈須きのこについて、語り尽くされていると思っていない。それで残念に思っている。彼はギャルゲーにおいてもライトノベルにおいても、そこでの評者が論じたかったものとは違うものを作ったのかもしれない。だから彼にはたくさんの熱心の読者がいるのに、なかなか目立った評論が現れないのかもしれない。ひょっとしたら優れた論評があるのかもしれないけど、そうならちゃんと紙でいっぱい流通してほしい。読み手の世代が違うと言うこともできるのかもしれないけど、そんな言い方でよい作品が語られないのはおかしいのだと思う。なぜなら、奈須きのこはやはり時代にとって重要な作品を書いていると僕には読めるからだ。彼については当の読者ですら、信者がどうしたとか言っちゃうところがあって、なんだか悲しい。

ufotableは敷居の高い「空の境界」を敷居が高いままに作っていて、そこがとてもいい。残虐なシーンを残虐に描くのと同じく、衒学的な部分をそのまま描いている。カッコいい映画だなと思う。昔、強度のある作品というのはそうだった。なんとなく、懐かしいサブカルの感じがすると思った。作り手が何でも説明なんてしてくれなくって、受け手がついていかなきゃいけない。限られた場所でしかやっていない不思議な映画をみんなで見て、それぞれ語ったり考えたりするという密やかな楽しみがある。あのころはそこに鼻につく権威が乗っけられて、それが廃れたからゼロ年代はオタクの時代になったんだけど、だけど今はもうそれも変わってきていていいと思う。そういう気分になる映画だ。

だからこの作品に、奈須きのこのファンたちが控えめに「信者しか見られない」とか「小説を読んでることが前提で」なんて言ったりするのを見たんだけど、そんなことを気にする必要はない。オタク業界に位置するアニメプロダクションとしてはちょっとズレたufotableが作るだけのことはある。吉田アミさんが賞賛するだけのことはあるのである。視聴者に勝負を挑むのにいささかも手を抜いていない。そういう作品を7回も見に来いと言うのだ。

そうでありながら、エンタテインメントとして成り立っているのである。これはすごいな、面白いと思った。もう、第3章の予告を見たときから、見たくて見たくてたまらないのである。実際、第3章は全章を通して最も王道のエンタテインメントとして作ってある話だから、ufotableも原作に忠実にそうしている。先が非常に楽しみだ。ところで僕はこの映画のパンフレットで奈須さんとゲストの方に毎回(映画を7回やるのでパンフレットも7冊ある)インタビューをしています。このパンフレットは、ufotableの近藤社長が「最近のパンフレットは読み応えがなくて嫌だ」と言って、ものすごい文字量を詰め込むことになったとちらっと聞いた。だから奈須さんは毎回各章について5000字以上、全7回とすると40000字近くも語ってくださる予定です。だいたい映画が1000円でパンフが900円というのがちょっとすごいと思う。「どんだけ高いのよ」と思う人はいると思うんだけど、そうじゃなくって「そのくらい価値があるのかも」と思ってくれたらいいなあ。読んだ方には好評みたいで、いずみのさんも書いてくださったし、それから斜壊塵さんが熱心に読んでくださってとてもうれしかった。インタビュー中心の内容ながら何とかして作品について突っ込んだ考察が作れたらと思っているところなのだが、やはりそれについて期待されているようで、やっぱそうだよねみたいに思う。このパンフレットの企画に声を掛けていただくきっかけになった「ユリイカ」の奈須きのこさんのインタビューも、もうすぐ掲載されるはずです。そっちはもう少しだけ、作品についての考察が多いものになるはずなので、そちらもよかったら読んでほしいな!でも今のパンフレットですら奈須きのこや空の境界について十分に考え始められるものにはなっているとは思う。希少感を煽ってもしかたがないんだけど、全く映画館でしか手に入らないのがすごく惜しい本だなあと見るたびに思う。

※以下は追記です


けっきょく、東浩紀が重要なのだろうなあ。彼は

奈須の作品に、「物語を語ることへの戸惑い」が一切感じられない

と言ってファウストの第三号を転向であると批判し、やがて手を引いていったんだけど、空の境界を読むと、奈須きのこはまさにあの作品で「物語る」ということや「世界と自分の関係」みたいなテーマに決着を付けている。98年の段階でそれができたということは本当に早くて、だから彼は誰にも先んじて「月姫」を作ることができた。そしておそらく東浩紀はその早さを見落として、単に奈須きのこはほかの作家が当時真摯に取り組んでいた問題を扱わずエンタテインメントを押し進める作家なのだと感じたのではないか。東浩紀に対する批判があり得るとすれば、当時そこで時代の前後を読み違えたことに向けられるべきだと思う。おかげで奈須きのこはしばしば「信者が熱狂して読んでいるようだ」という貧しい文言すら与えられて奇妙に独自な立場を築いてしまった。逆に言えば、人々がどうやら物語を回復させた2007年に、98年既にそれを発見していた空の境界が劇場版として広く世に再生されるということは実に象徴的な出来事なのだ。このハブを正しく接続しなおせば、エヴァ-セカイ系から現在までの流れは寸断されたようには見えないだろうし、転向はどこにもなかった、順路だけがあったと言えるだろう。そして同時に、いま世にある間違った形での東浩紀に対する批判も正せるはずなのだ。

2008.02.02 | | コメント(2) | トラックバック(0) | [アニメ] [映像] [文章

コメント

はじめまして。去年からこちらを読ませていただいていますマドといいます。先程は突然のメールで失礼しました。
ここ「Hang Reviewers High」をはじめとしたソメルさんの文章に影響されて、僕もブログをやっています。まだ、ほとんど書いてないですけど、興味があったら読んでみてください。
それでは。

2008-02-03 日 00:13:06 | | マド #- [ 編集]

マドさん初めまして!わざわざコメントいただきましてありがとうございました。
メールをくださったのはマドさんだったのですね。ブログは拝見しました。僕はそんなに大したものを書いていませんが、僕の書いたものが誰かが文章を書くきっかけになるというのはいちばんうれしいことです。うれしいお言葉をありがとうございました!

2008-02-03 日 09:03:38 | | ソメル #- [ 編集]

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