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パンドラVol.1 SIDEーB

パンドラをフレッシュネスバーガーで6時間ぐらいかけて読んだ。SIDE-Aのときも思ったけど、雑多さがある。「ファウスト」は太田さんが「ひとり編集部」ということにこだわったせいかわからないけど、号を重ねるごとの変遷はあれども「太田さんはコレが見せたいのね」という統一感があった。しかしパンドラは分厚い中にいろんなものが入っているという印象。正直な話、なぜ載ってるのか僕には理解できないモノもある。だが、断じて言わねばならない。それは悪い意味ではないのである。僕は実際、雑誌としてはそういうものの方が好きなのだ。

個人誌に近いコンセプチュアルな雑誌は美しくて大好きだけど、雑誌というメディアを楽しむなら雑多すぎるほどに雑多な方が好きだ。誰か一人が凛として主張するのではなく、編集部全員が「世の中、いろいろと大変なことになってるんですよ!」と大騒ぎしているのが雑誌の醍醐味だと思う。だからパンドラは読んでいて楽しい。僕の好きなテキストが誰かにとって意味不明で、僕の引っかからなかったテキストが、誰かの熱狂を誘っているのだという想像力が持てる。思いも寄らなかった読み物に出くわすことも多い。吉田アミさんの小説もこういう本に「子供社会のルール策定者」みたいなことが書いてあると体がわりと自然に「ああ、ゲームものかな?」みたいに身構えてしまうんだけど、そうならないんだよね。そこが心地よい。「世の中いろいろすごいんです!すごいのがいろいろなんです!」という声に身を委ねられた気になる。

もともとファウストもパンドラも、あらゆる記事のサブタイトルが全部エクスクラメーションマーク付きみたいなところがあって、普通なら編集者はそういうセンスは避けなきゃって思い始めると思うんだけど、講談社BOXの人たちはますます熱にうかされたようにそれをやっていて、そこがホントにスゴいことだと思う。今、読者(評者)はそれを揶揄の対象にしようとしたりすると思うんだけど、でもそれにはあたらない。そういう読み方はいらない。いい大人が異常な熱意でそれをやっているのはすごいことだと僕は思う。むかし「ドラゴンボール」が毎週エクスクラメーションマークを増やしていったころ、僕はドキドキした。それと同じだ。やたらと「傑作」とか強い言葉が書いてある、その熱量を僕は感じたい。

今号で最も素晴らしいのは、何と言ってもアンディー・メンテのじすさんが流水大賞で優秀賞を取った作品が載っていることだ。同人ゲームのテキストは2000年以降に注目され、メディアは奈須きのこや竜騎士07など、主にノベルゲームの作家の素晴らしさを正しく世に広めたと思うんだけど、それって同人ゲーム全体の面白さが必ずしも広められたわけではないと僕は思うし、そう思っている同人ゲームのプレイヤーはいるのではないだろうか。もっと破壊的で、軽くて、感傷的で、強い、同人ゲームのあの感じ。でも、これって新しいもののように思われるのかもしれないけど、実はもっとずっと古くからあった感覚だ。だからアンディー・メンテやこの小説を同人ゲーム界のニューウェーブであるかのように紹介するのは正確ではないだろう。アンディー・メンテの良さは必ずしも奈須きのこなどのノベルゲームに連なるものじゃない。それはもっと古いものだ。例えば僕はアンディー・メンテをプレイするときにBio_100%で味わいたかったものとおなじものを感じるし、そこが好きだった。もっと昔、たいにゃんのゲームなどにだって、同じモノを感じていたと思う。それはずっと、なぜだか同人ゲームにしか見られないよさで、昔から、そして今も、そういうものを受け継いでいる同人ゲームは脈々と続いている。しかし、たとえたまごっちが爆発的に売れても、ドワンゴが今やなんだか超すごいIT企業になっても、それはなぜだか世に出なかった。だから、ずっと僕の好きだったそれが、やっぱり誰にとってもいいものなんだということをパンドラはちゃんと言ってくれたから、僕は本当にうれしかった。

それに、この素敵さは僕の好きだったインターネットの良さにも通じているのだ。それが受け継がれているものがちゃんと世に出てうれしい。

僕の好きだった、あの、インターネット。

2008.04.08 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [文章] [ゲーム

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