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エレGY

「エレGY」という物語について、僕は正直なところ何も書けない。ここに書かれていることは、僕にあまりに関係がありすぎる。それは僕がアンディー・メンテという存在を知っていて、じすさんがどんなゲームを作ったか知っているということもあるし、彼がいう「フリーウェアゲームスピリット」とは、僕がひそやかな楽しみとしてプレイしていたフリーウェアゲームの世界に抱いていた愛情をあまりにストレートに表してくれすぎているからでもある。

だがそんな意味ではない。それ以上のこととして、この作品の内容は僕に関係が深いのだ。彼が書いていることは、職がなく、ガス代や家賃が払えないなかで、誰からもお金をもらわないためのコンテンツを作るということに夢を抱いて、そしてやがてネットの上で、または実際に作品の受け手と見知ったときに、「その作品の作者」というキャラクターから自分自身が疎外感を受けて、それをどう強めていったのか、そしてそれが最終的にどうやって救われたのか、そういう物語なのだ。僕が10年も前に、ウェブでどんな活動をしていたのか知っている人には、そしてその後僕がどうやって今ここにいるのか知っている人には(このブログの読者の人はそんなことを知っている必要は一切ないのだ)、僕がこの物語を他人の出来事として感じることができないということが分かってしまうかもしれない。僕はこれを自分と切り離した作品として読むことができない。作法として何をやっているかとか、時代としての新しさがなんなのかとか、じっくりと正視して観察することができない。レビューにも批評にも、感想としても、僕がこのブログで書きたいことになんかなりやしない。

すまないが、僕がこの物語に対してできたことは、それがすべてである。要するに僕はこれに対して、感傷的にありすぎる。だから、正面をきって作品を語ることは、自分について語ることに近づくが故に、それを恥じてしまって書けないでいるだけなのかもしれない。しかしいずれにしてもこの作品には、評者としてもっともっとほかに適切な人がいるだろう。だが、たとえどんなにうまくこれについて語ることができても、それは、ここにあったことは、本当に起きたことなんだって言えることとは、別なのだ。僕にはせめてそう言わせてもらう権利があると思いたい。その理由を書かないのは結局恥じているだけなのかもしれないが、しかし僕には間違いなくそれが言える。これがフィクションであっても、このフィクションを離れたどこかで、それは本当に起こった。だから、よかったら、この美しい物語を読んでみてほしい。もしこれが読まれないし語られないとしたら、そのことは僕にとってやはり、とても悲しいことなのだ。

2008.07.26 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [文章

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