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ファウスト Vol.7 (2008 SUMMER)

ここ最近、このブログはメタ批評的にありすぎて、それは僕自身気に入っていない傾向だったのだけれど、仕事のせいもあって、またいろいろ考えるところがあって、意図的にそっちに傾倒していた。しかしあれこれと書評なんかを書いて(まだ上梓されていないけど)だいたい一区切りがついたので、ようやく作品論に戻っていくことができる。ところが、そういうものをどんどん書いているうちに、今度は作品を享受する時間が取れなくなっている。これはゆゆしき問題だ。「崖の上のポニョ」も見ていないというのはおかしなことではないか。そうかとしているうちに「ファウスト」の新号がついに出てしまい、これはもう間違いなく読まねばならないのだけれど、雑誌なのに1240ページもあるのだ。読み切れない。中にも書かれているけど、これはもはや凶器である。鈍器である。読み切れないから、もう、ここにまず書いてしまう。このブログで第一に大切なのはスピードと量なのだ。

とりあえず、筒井康隆「ビアンカ・オーバースタディ」だけは読んだ。中学生のころ筒井康隆の愛読者であった僕として、「ファウスト」に筒井康隆が、しかもいとうのいぢの絵で載るなら読まずにおられようか。だからこれだけはまず、読むのだ。全部は読めなくても、佐藤友哉特集にはまだ手が付けられなくても。

最高に面白い。これはまずい。エロ過ぎる。微エロはない。エロい。いとうのいぢのキャラが手コキするなんて、もう角川的な、またラノベ的な判断からしてありえない。しかし筒井康隆は「ライトノベル」というものについて、つまりは「中高生が性的な興味を抱くところから物語を読み始める作品群」としてあっていいということを全面的に認めて、元祖インモラル、元祖アンチタブー全開な作家として、若い書き手になど「おれ」が負けるわけない、というヒップホップ的な、空気などあえて読まない自負によってこのハードコアな小説を作り上げた。そういう意味では、この作品は「時をかける少女」のような、かつて彼が書いていたSFジュヴナイルの作品たちと比較しても、もちろん全く違う意味を持たされている。「時かけ」が美しい友情物語としてアニメ映画化され、中高年のアニメファンなどにも賞賛されている今、しかし筒井康隆という作家は、それはそれとして、ならば今の中高生を対象にしたものを書くならば、彼らと同世代の登場人物を主人公とした強烈なエロがいいだろう、という正しい時代認識を持っている。まさに読むにあたってすっかり中学生の頃の筒井康隆読者に戻っていた僕にとっても「頭がフットーしそうだよおっっ」というわけで、すぎ恵美子以降の価値観を持った小説を赤塚不二夫よりも一つ年上の作家が決然として書くのだ。かつ、同時に「時かけ」にも符合させる、学校の理科実験室、二人のタイプの違う少年、未来人、という余裕綽々とした目配せ。これはすごすぎる。

ところがこれ、終わっていない。続きがものすごく気になるところで読者に対しては手コキが寸止めなのである。「To Be Continued NEXT FAUST!」という、冗談のようなハートマークが付けられている。そうか、分かりました、つまり続きはまた二年半後ってことですね……などといくわけはないのだ。逆に言えば、そんなことになれば太田編集長は筒井康隆という大作家に対してとんでもなく礼を欠くことになるはずで、それは避けねばならない、と太田編集長自身が自覚している……はずである……たぶん。そうであってほしい! だから1136ページの「Thank you all readers! 『ファウスト』Vol.8は2008年末刊行予定です。」という、衝撃的な文句もまた、本当なのである……はずである……たぶん。

自分のことに触れさせていただくと、実は僕はこの「ファウスト」の中で、東浩紀さんにインタビューをさせていただいた。この分厚い本は東浩紀特集も備えているのであって、そこは批評の読者にもちょっと注目していただきたいあたりだ。これは「動物化するポストモダン」が三カ国語で翻訳されたということについての内容で、僕のインタビューのみについていえばもうちょっと紙幅が欲しいというか、僕の仕事の限界ギリギリの強度を読者に、そしてもちろん太田編集長や東浩紀さんにお伝えすることができなかったかもしれないが、しかし今一番語られねばならない状況論はこのインタビューで確実に東浩紀自身の口から述べていただき、紙上に封じ込めることができたという自負がある。だから今の批評について何か考えたいと思っている方には、とにかくぜひ読んでいただきたい。

佐藤友哉特集もまだ読んでいないが非常に楽しみにしている。取りあえず「佐藤友哉の人生・相談」だけ最初に読んで泣きそうになった。次に僕が読むのは、当然、鏡家シリーズの最新作にして入門編である「青酸クリームソーダ」に決まっている。ページをめくるのがもったいなくて、まだ最初の1ページしか読んでいない。どんなミステリになるのか。とてもドキドキする。あと西島大介君の漫画こそ、一番最初に読んだ。読みながらニヤニヤし、やがて爆笑していたら家人に不審がられた。

それにしてもVol.8は、本当にすぐに出るのだろうか。もはや「2008年末」というのは最初っから信じられない僕だが(佐藤友哉が書いているとおり、Vol.6にだって「Vol.7は半年後に出る」と予告されていたのだ)、それでも延びた結果として来年の春くらいに出てくれるのなら、本当にうれしい。楽しみだ。「ビアンカ・オーバースタディ」の続きだって気になるし、第一、僕は「ファウスト」が帰ってくるのをずっと待っていたんだ。本当は僕も明日までの仕事があって、やらなくちゃいけないんだけど、でもさあ、いま再び「ファウスト」の新しい1ページを読むことができるなんて、本当に幸せで、楽しくって、やめられない。そしてこの1240ページをすべて読み尽くしてしまっても、またきっと新しい1ページを届けてくれると約束してくれているのだ。「ファウスト」が続いていく世界。本当かなあ。僕は信じちゃうよ。

2008.08.10 | | コメント(4) | トラックバック(0) | [文章] [マンガ] [アニメ

コメント

ファウスト買いました、読みました。
ですが面白くなかったです。
本当に辛い事です。
ファウストを面白いと感じられない自分が辛すぎます。
自分がファウストの読者対象から外れたのかと思うと本当に辛い。
何が書いてあるのか(何が面白いのか)殆ど理解できませんでした。
個人的な感想であって申し訳ないんですが
ソメルさんなら何か言ってくれるのではないかと思って。
パンドラは面白かったんです、でもファウストは面白いと思わなかった。
パンドラと今のファウストに何か差ってあるんでしょうか?
何が違うんでしょうか。

2008-08-11 月 08:46:47 | | ナナナナ #mQop/nM. [ 編集]

ナナナナさん、いただいたコメントにはとても考えさせられました。ありがとうございます!

ナナナナさんが今のファウストをつまらないと感じてしまう理由は、
いただいたお言葉だけからでも、いくつか考えられます。

1.ファウストが変わった(昔はナナナナさんの嗜好に合っていた)
2.ナナナナさんが変わった(ファウスト自体は変わっていない)
3.ファウストは変わったし、ナナナナさんの嗜好も変わった

細かく見ていけば、もっといろいろな可能性が考えられるはずです。

ナナナナさんがパンドラは面白いと思われるのは、あれは一見すると同じ
「ファウスト系」の本でありながら、しかし太田克史という一人の人間の
嗜好が強く反映されたものじゃなくて、いろいろな編集者の思惑の詰まった
文字通りの「雑誌」です。ナナナナさんはそちらの方に面白い、と思える
点が見出せたのではないでしょうか。
逆に言えばパンドラとファウストは別のものであって、これはもう
切り離して考えていいものなんだと思います。
パンドラはファウストに「ファウスト上等」という自社広告を出していましたが、
あれが本当に象徴的なことなんだと思います。

だからファウストから「これが面白いんだよ!」と言われて
見せつけられたものを面白いと思えない自分、というものに
とまどう必要はありません。
僕はこう考えます。ファウストは、太田克史というたった一人の
人間が面白いと思ったものを詰め込む雑誌なので、
そのときどきでの太田克史という人の嗜好が強く出ています。
だから、今のファウストが面白いと感じられなくても、悲しむことは
ないと思います。
「ファウストは面白いはずで、面白いと思うべきだ」という「べき論」は
必要ありませんし、または、「ファウストが面白くないなんて、ファウストは
ダメになった」と思う必要もありません。
ナナナナさんには、ほかに面白いと思えるものがあるんです。
それを精一杯楽しめれば、それは素敵なことなのではないかと思います。

次に出るパンドラは編集長が交代し(パンドラの編集長は一年交替制です)、
Vol.1とはまた別の「雑誌」になって登場するはずです。
ナナナナさんはそれを「面白くない」と思うかもしれません。
そのときにも、「これは今の自分に合わなかった、次はどうなるかな」と
思えることができたらいいのではないでしょうか。

なんだか抽象的なお答えかもしれませんが、僕にはそう思えます。
「自分の好きでないもの」を誰かが好きであるということを想像しながら、
「では今の自分が面白いと思うものって、どんなものかな」ということを
考えていければ本当にいいなあ、と僕は思うのです。

2008-08-13 水 05:56:45 | | ソメル #- [ 編集]

「自分が好きでないものを誰かが好きである事を想像しながら」というのは
とっても豊かな視点ですね。
ファウストとパンドラの違いについては頂いたご説明で明確に理解できました。
僕がファウストというか太田さんに感じていた魅力というのは
1980年代以降(あえてこの括りで)に生まれた人間がその成長過程において夢見ていた何かというか、何故か取りこぼしてしまっていた形容できない「アレ」
のようなものを執拗に追っているような姿勢があったからで(僕がそう感じていたというだけの話ですが)
勝手な身内意識みたいなものを持っていたからなんだなあと
最新のファウストを見返していて思いました。
そういう存在がアメリカとか中国とか言っているので
嫉妬というか「え?もうそんななの?」みたいな
ビックリゲロみたいな反応があったんです。
それだけではなく、佐藤さんと西尾さんの対談も何かもうゴールしたというか
「え?もうあがったの?」みたいな、まだじゃないの?と思ってしまうとか。
東さんのインタビューでの「ゼロ年代的な批評」が共同体的で同世代的な知識に支えられ過ぎているので
このままでは閉塞してしまうだろうから少し開かなければならないという話も「なぜ?」となってしまったりとか。
この本の外へ外へ出て行く力の感じが凄く寂しいんです。
内容が面白くないんじゃなくて、僕自身の気持ちとして面白くない。
「もう行くのか!」という思いがとても強くあります。
それと比べてパンドラはまだ落ち着いていて「まだ掘ってくれてる」という感じがとても心地良かった。
でも最新のファウスト読んだ後にパンドラも見たんですが
今度は逆に物足りなく感じてしまう。
ああもう何か取りとめもない話になってきたので止めます。

「では今の自分が面白いと思うものって、どんなものかな」

と考えてみたいと思います。
何かに毒されているような自分には難しい事ですが
多分、何か考えないと次のファウストとかパンドラを呼んで妙な嫉妬心とかを起こしそうなので。

スミマセン、ありがとうございました。

2008-08-14 木 02:23:36 | | ナナナナ #- [ 編集]

ナナナナさん、再びコメントをありがとうございました!丁寧に教えてくださったので、何がナナナナさんにとっての違和感だったのかとても伝わってきました!

>1980年代以降(あえてこの括りで)に生まれた人間がその成長過程において夢見ていた何かというか、何故か取りこぼしてしまっていた形容できない「アレ」
>のようなものを執拗に追っているような姿勢があったからで

なるほど、おっしゃることはとてもよくわかります!!

僕の感覚では、ファウストは常に十代とか青春みたいなものに興味があるのだなあ、と思います。時代時代で移り変わっていく、そういうものに対する若者の感覚を、太田さんはどこか特定の時期に生まれた人に限定しないで、特に新しい世代や環境で十代とか青春みたいなものがフィクションとしてどう生み出されているか、みたいなことをクローズアップして追い続けているのかな、と思います。同時に、ファウストが生み出した作家たちの世代的な変化みたいなものも追い続けているという感じなのでしょうかね。

Vol.7は1/3くらい読みました。佐藤友哉さんの長編は僕は佐藤さんらしい物語への態度で好きでした。

2008-08-17 日 12:31:54 | | ソメル #- [ 編集]

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