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サイコスタッフ

最近はやけにマンガについて考えている。正確には、水上悟志について考えている。僕は去年の暮れ、もしくは今年の頭に「2008年に重要なマンガ家は福満しげゆきと水上悟志だ」とこのブログに書いたと思う。もちろんその気持ちは今でも変わらない。しかし、そのころ僕は、同時に水上悟志「惑星のさみだれ」についてはまだ言葉にできないでいる、と書いたと思う。だが、どうやら最近、僕の頭の中でこのマンガについてずいぶんまとまってきたのだ。だからそろそろこのブログにも書くことができるかもしれないのだが、しかしちょっと5巻まで読み直すヒマがなくて書けないでいる。

仕方ないのでまず今日は、「惑星のさみだれ」を語る前段として必ずあるべき水上悟志のそれまでのすべての作品、とりわけ「サイコスタッフ」のことを書こうと思う。

マンガの話なので、ちょっと告知をさせてください。来る8月22日に、東京・中野ブロードウェイにある講談社BOXさんの運営するカフェ「KOBO CAFE」にて、マンガ家の西島大介君「夏休み!西島大介の一日漫画教室」をやります。僕は当日アシスタントとして、まあ要するに西島君のお話を伺う役および雑用係として出演しますので、お暇な方はぜひよかったらご応募ください。内容について詳しく書くと面白くないので秘密ですが、あえてちょっとだけ書きます。このイベントは「漫画教室」だけあって、単なるファンイベントやトークイベントではなく、あくまでマンガ家になりたいとか、マンガというものにかかわってみたいという方のためのものです。だから参加者の方に絵を描くためのペンを持って来ていただいて、実際にマンガを描いていただくことになります。しかし、例えば人物像をどう描くか、みたいな絵のレッスンをやるわけではありません。実はこのワークショップは「今現在、マンガというメディアを成立させる条件って何だろう」ということと「今現在、マンガ家というものになるってどういうことだろう」という内容になります。ちょっとひねった表現論的的な手法を使いながら「マンガを作り出す」手ほどきをしつつ、マンガを取り巻く今の状況みたいなものも語る、という感じでしょうか。まあ、西島君や僕をご存じの方にはお分りいただけるのではないかと思いますが、我々二人が揃って喋るということは、明らかに脱線を目指しつつ、しかもいかにして従来の価値観を無効化するかというような内容を目論むと思いますので、そういうところから「マンガとは」「マンガ家になるとは」ということについて考えてみたいという方はぜひご応募ください。応募にはアンケートに答えていただく必要があるので、詳しくはKOBO CAFEさんの告知をご覧ください。応募は18日まで、定員15名ですが定員以上になったら抽選になるみたいです。

さて話を戻して「サイコスタッフ」。まずこの作品は水上悟志の十八番的な導入に実に美しく則って始まる。その十八番とはこんな具合だ。まず最初の1ページ目をめくった瞬間、いきなり完全に非日常的なことが起こり、読者があっけにとられる。そして、主人公はそれを平然と受け流す。この作品に沿って説明するならば、すなわち「ラブレターをもらったと思って喜んで放課後に体育館の裏に行ってみた」というベタな日常の描かれる1ページ目から、次のページをめくった瞬間、自分を呼び出した女の子が「Bクラスサイキッカー柊光一くん あなたを惑星ルルイエ宇宙軍超能力部隊にスカウトに来ました」というベタな非日常を話し始める。そして、主人公は即座に「答え! 宇宙より大学に行きたいので! それじゃ!帰って勉強しなきゃ」と言って、そのスカウトを断る。

この、非日常が容赦なく日常に介入してきてしまい、主人公がそれを否定する、という定型は、もっとも初期の短編集「げこげこ」からずっと水上悟志の作品に受け継がれているものだ。ここで重要なのは、主人公は非日常の存在自体を否定するのではなく、それを自分の日常に含めてしまうと社会生活が成り立たないので形式的に否定せざるを得ない、という否定のされ方が取られるところである。例えば「サイコスタッフ」では、実は主人公は単に非日常を拒絶してスカウトを断ったのではなく、実際には自分の超能力に気づいていて、使いこなすことができる。しかし、そんな力を持っていても社会生活にとって何の役にも立たない、むしろ邪魔になる、と言って「普通の受験生」という自分を目指すのだ。この「非日常をいかにして受け入れるのか」というテーマは「惑星のさみだれ」にも全く受け継がれているものだし、水上悟志のこれまでの作品にとって最大のテーマでもある。これは「フィクションをいかに語るか」という問題に大きくかかわるもので、今この作家が注目されてしかるべきであると僕が思う最大のポイントはここにある。

主人公は「なにが巨大な才能だ 努力に勝る才能なんてない」と言って、自分の超能力を否定する。彼には実は、幼少の頃に母親の病死に際して自分の超能力が何の救いももたらさなかったという経験があるのだ。つまり彼は、非日常によって成し遂げられることなど、日常を満たすものではない、というのだ。それは物語であり、現実とは違う。非現実によって満たされる現実など、克己的でない、甘えたものだ。

この問題を「サイコスタッフ」では、どう語っているか。まず「能力は適所で使ってこそ、その意味がある」「誰にも認められない努力なんか無意味だ」と言って主人公をスカウトしたヒロインこそが実は最も軍人として努力してきた人物であることが明らかにされる。「努力の人」である彼女が天才や超能力者という圧倒的な「非日常」を認めなければならない葛藤を抱きながら生きてきたという事実が示されて、主人公はそのひたむきさを好ましく思う。二人は心を通わせ、主人公は最後に、自分の持つ非日常の力によって「巨大隕石の落下から地球を守る」という非日常でしか解決し得ない問題へ正面から向き合う。成功率5%の、宇宙空間で繰り広げられる非日常的な作戦に際し、主人公はついに「がんばって」と言われて「がんばる」と答えるのだ。

やがて終盤で主人公は超能力を失い、スカウトという目的を失ったヒロインは再会を約束しながらも地球から去ってしまう。しかし彼らが「がんばった」日々は残り、二人はお互いのひとときの関係を頼りに、いつか会える日までの「地道な努力」を続けていこうとする。このラストは非常に爽やかで、そして希望に満ちたものだ。

宇宙人に惚れた男…
なんて66億人に1人
くらいなもん
だろう

超能力なんか
なくても

いつだっておれは
おれってだけで
特別な気分に
なれた

この自己肯定は超能力の有無にこだわらず、愛を捧げるたった一人の相手を受け入れることで自分を認めることができるという素晴らしいものだ。しかも宇宙人の女の子という「非日常」によって「日常」が満たされている、ということができる。これはすてきなことだ。

しかしさらに翻して考えると、「作品世界」という大きな「非日常」が単に満たされた、という言い方もできてしまう。従って「非日常をいかにして受け入れるか」という問題自体は、実は続行可能ではある。そして、その問題に再び挑み、おそらくその問題自体を内側から食い破ろうとしているのが「惑星のさみだれ」という大変な傑作なのだろう。しかし、それについては機会を改めて書こうと思う。

2008.08.11 | | コメント(2) | トラックバック(0) | [マンガ

コメント

稚拙な読書感想文みたいでした

2008-09-02 火 21:20:46 | | #- [ 編集]

無記名の方、わざわざコメントをありがとうございます!
僕にとって文章を書くことは常に修練の課程ですから、この記事もまた稚拙であると自覚しながら書かせていただいております。お目汚しでたいへん申し訳ありません。しかし、このような稚拙な記事からであっても、僕は「サイコスタッフ」や水上悟志について、ひいてはマンガについて考え始めることが必要だと信じた結果として書かせていただいております。それはこの記事だけでなく、このブログ全体がそうです。だから、もしよろしければぜひ、ご自身が水上悟志をどう感じておられるのか、または僕の記事のどこが稚拙で、どう「サイコスタッフ」を読むべきと考えていらっしゃるのかを書いていただければ、稚拙な感想しか記せない僕にとっても勉強させていただけますし、またインターネット上でマンガについて互いの考えを述べあうことを少しでも豊かにしていけると信じています。いかがでしょうか?

2008-09-04 木 15:28:45 | | ソメル #- [ 編集]

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