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デトロイト・メタル・シティ

「デトロイト・メタル・シティ」というマンガを僕は世間で面白いと言われているほどに好きではなくて、だから映画にもさほどの興味がなかったが、ほとんど偶然に見に行ったところ、まったく想像を超えて非常に面白い部分があった。

この原作マンガを僕がさほど面白いと思わないのは、ギャグマンガとして、お話の中にあるギャグのリズムパターンが一定でありすぎるからだ。これはもう単純に好き嫌いの問題なのかもしれないけれど、まず「面白さ」の根源が常時、ズレたお笑いとして見た「デスメタルの凶暴性」と「渋谷系のオシャレさ」、そして何らかのマンガなどのパロディという要素に還元されてしまうところに、読んでいるうちに飽きを感じてしまう。ひとつひとつのネタが面白くないというわけではないのだけれど、冷静な見方をしてしまうと大きな笑いの要素としてはメタルとオシャレとパロディに絞られてしまう。しかも「エアレイプ」とか「ベルリンの金色の風」とか、作者が「面白い」と思いついたギャグのネタを定期的に紙面に差し挟むためだけに各話を構成しようとするところがあって、その意外性のない一定なリズム感は言ってみればこれは僕にとって、「カメレオン」などで人気を博した加瀬あつしの連続下ネタのワンパターンさと同じものだ。重ねて言うが一個ずつのネタが面白くないのではないけれど、同じ要素に収斂することができるネタが一定なリズム感で繰り返されていることに結局は飽きを感じてしまうのだ。

しかし、映画の方は原作とは違った面白さがあった。冒頭からカジヒデキが出てきて「ラ・ブーム ~だってMY BOOM IS ME」を大熱唱していたり、着メロが「恋とマシンガン」だったり、タワーレコードで今さらカヒミ・カリィが大々的に売られているシーンがあるだけでわりと面白いのであるが、観客は特にそういうところは笑っていない。これは渋谷系というものを知っている人にだけ送られた目配せであって、それは鬼刃役でK DUB SHINEがDJ OASISと共に出演しているのと同じような小ネタである。しかし余談だがこういう映画にこういう役で平気で出たりするところがいかにもコッタ氏らしくて非常に笑えた。

しかしそんな小ネタはまさに小ネタであって、ギャグとしても物語の本筋としてもこの映画には実は全く関係がない。この映画は簡単に言えばどのように自己を実現するのかという物語であった。他人から認められたい、しかし他人は全く承認してくれない自分を追い求めること(自己承認欲求)を捨てて、本来自分が望んだ姿でなくとも、いま自分が他人に夢を与えることができている自分を肯定する、という話なのだ。自分が内発的に自覚する「個性」を認めさせようというのではなく、他人が発見してくれた自分の長所に自らを委ねて自分も他人も満たされる、という非常にゼロ年代的なテーマ性を持っている。

それだけでも宇野常寛が「ゼロ年代の想像力」で提示したポスト決断主義のモデルと比べて語ると面白そうな話だとでも言えそうなものだが、この映画はそれに加えて音楽というものに対する視線にも面白いものがあった。主人公もヒロインも、自分がオシャレな音楽に夢を抱くように、自分が不快感を感じるようなデスメタルのような音楽に夢を抱かされる他人がいる、ということにラストで気づく。面白いのは、ここで「あらゆる音楽が誰かに夢を与えうる」という題目の下に等価なものとして並べてしまわれることだ。タワーレコードが強力にバックアップしているせいかどうかしらないが、この映画は原作のマンガに比べて現代における音楽のあり方についてずっと自覚的だ。マンガでは現在のところ、デスメタルも渋谷系もズレたカッコ悪さを象徴するギャグのアイテムとしてしか扱われないし、肯定的な表現を模索しつつも、いまだ「音楽は人を殺れる」という言葉でその価値を訴えるにとどまっている。それはそれで悪いものではないが、そこに新味があるかといったらそうでもないのではなかろうか。しかし映画では、消費社会において際限なく等価にされてしまう音楽というものを自覚しつつ、しかしすべてが等価になった後でもなお、この膨大な消費材のそれぞれは誰かに「夢」を与えているかもしれないものだという他者に対する想像力の眼差しを喚起させようとする。そこでは既に、ジャンルによってマッピングしたり価値をランク付けしようとする意志もなく、ただ膨大な消費材の海に自分が愛する何かや他人が愛する何かがあるのだ、という形でのみ等価に位置づける。これはすごく今っぽいものの見方だと思う。

しかし皮肉なことなのかもしれないが、物語の最後にはディスクレイマーとして次のように表示される。

この物語はフィクションであり、物語を構成する一部の台詞・歌詞などを直接的に肯定するものではありません。

つまり「他者が夢を抱く」ことをキーワードにすべての価値観が等価であることを高らかに謳い上げる物語であってなお、この物語は「レイプ」だの「殺害」だのと連呼する曲の思想を肯定するわけではないとしつこく言い訳して回ねばならないのだ。何というか、エロゲーやロリマンガが優れた物語を描きながら、それでも「何だかんだ言ってポルノじゃないか」と言われたり、「この作品に登場するのは全員18歳以上」などと断り書きせねばならないようなものと似たものを感じて面白かった。

2008.08.31 | | コメント(2) | トラックバック(0) | [映像] [マンガ] [音楽] [文章

コメント

昔どこかで「最大瞬間風速的な漫画だよねー」と書かれていて納得した覚えがあります。
面白いには面白いんですけどね。

2008-09-18 木 09:25:03 | | wen #- [ 編集]

wenさん、コメントいただきましてありがとうございました!

「最大瞬間風速的」というのは面白い表現ですね。平らかに均してみるとそこそこのレベルになってしまうということなのかもしれません。

しかし多くの読者はギャグマンガというものに突出したもの、強烈な笑いの喚起を求めるでしょうから、ギャグマンガというのは難しいものですね(もちろん今日ではシニカルなというか、強烈さから離れたギャグマンガも数多くありますが)。気軽に強烈さを求められてしまう作家にしてみれば本当に大変だろうなと思います。

2008-09-21 日 14:37:39 | | ソメル #- [ 編集]

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