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口口口「everyday is a symphony」

ゼロ年代ってのが終わろうとしていて、僕もまた、この10年が何だったかということについて考える。もちろん、今年のベストディスクは何だったかとか、そういう人並みのことを考えようとも思っていた。しかしどちらも、ついこの間まで、特にこうだという考えはなかった。

ところがちょうど今月、口口口のニューアルバムが出て、僕はこのアルバムこそゼロ年代を総括して、次の10年に何が起こるかを示してみせる、すごいアルバムだと思った。もしも2010年代がどんなものかと言うなら、いや控えめに書くとしても、僕がゼロ年代後半から2010年代の前半をどんなものだと考えているかを言うには、このアルバムを紹介するのが近道だと思う。つまりこのアルバムは一聴してすぐに僕にとっての2009年のベストになったし、口口口のこれまでのアルバムのベストになったし、ゼロ年代を語る上で外せない価値を持った一枚になったのだ。

僕がこのアルバムにふれたのは、11月の頭にナタリーで口口口の三浦康嗣さんといとうせいこうさんにインタビューさせていただくことがあって、その資料として聴かせてもらったのが最初だ。このインタビューは、会話の音が口口口によって録音され、三浦さんがそれを元に曲にしてくださった。つまり口口口の声に混じって僕の声がサンプリングされて使われているのだ。これが、すごく、すごい。とてもいい曲だし、このアルバムの思想を伝えている音楽なので、ぜひ聴いてください。

口口口がなぜこんなインタビューをやっているかというと、今回のアルバムの手法としてフィールドレコーディングを採り入れているからだ。つまり、室内や野外でテレコを回して録音した音をサンプリングソースとして使い、楽曲を作っている。電車の発車ベルをループにしてメロディを奏でたり、桶で水を汲む音を使ってビートを刻んだり、鳥の声をさまざまなピッチで鳴らしてシンセのような効果を生んだりしている。

さて、ここでフィールドレコーディングという手法は、一見するとこのアルバムにとってアーティストの「いまここ」、音楽の現場性を伝えるために機能しているように見える。ゼロ年代の音楽においては、また他のカルチャーにおいても、アーティストのナマの感情、ナマの実感、ナマの状況というものが大きな価値を持つようになっているから、このアルバムではフィールドレコーディングがそれを伝える仕掛けとして働いているようだ。

しかしここで注意すべきなのは、口口口はデビュー当初から単なる現場主義は通過しているということだ。2004年のファーストアルバム「口口口」とセカンドアルバム「ファンファーレ」の二枚、これらの極めてポップなアルバムによって、彼らは90年代後半からゼロ年代初頭にかけて先鋭的なリスナーやミュージシャンが選択した抽象性――たとえばそれは「アブストラクト」とか「音響派」のようなジャンル名に象徴される――に異を唱える。その抽象性とは大文字の「音楽」を維持して音楽の全体性がゼロ年代以降にも継続することを偽装するためのものだったが、それが隘路であり、かえって作品の射程をどんどん狭めていることは明らかだった。口口口はそれを批判して90年代を完全に終わらせるために、バンドスタイルで「アーティストの等身大」に見えるポップスという具体性を示したのだ。それが2004年だった。

だから、2009年末であるいま、口口口のフィールドレコーディングを指して、これは現場性を表現したアルバムだなどと単に言ってはいけない。我々は本当に注意深くあるべきで、ここではむしろ、ゼロ年代が現場性を重視したことに対する批評が行われていると見るべきである。つまり口口口は、録音されたものは本来、現場そのものと一致させられないというシンプルな事実に我々を立ち返らせようとする。彼らはフィールドレコーディングによって集められた音源を、すべて楽曲を構成する素材としてしか見ていない。そこにはソースが内包する空気感(現場性)やリスペクトの意識が重視された従来のサンプリングに対する意識と真逆であるかのようだ。彼らはソースを徹底的に切り刻み、別の意味づけを行い、別の文脈を作り上げることに躊躇しない。

ところが、口口口はそうすることで楽曲の現場性を否定するわけではない。彼らは電車の音によって東京という都市に生きることを、水の音によって温泉のレイドバック感を、卒業式の音によって青春の切なさを、全く豊かに表現している。それは偽装されたものではなく、やはりメンバーの実感として間違いなくそこに存在している。彼らは編集された音源からエモーションが立ち上ることを否定していない。言い換えれば、現場性やエモーションは作品に本来的に宿るわけではなく、ポップスを成り立たせる編集課程によってこそついに生み出されるのだと熟知している。口口口はここで現場性や感傷への安易な傾倒を慎重に退けつつ、誠実にそれらを立ち上らせようとするのだ。

このアルバムは、それをダイレクトに表現している。それはゼロ年代の現場主義に対する批評であり、彼らがこれまでリリースしたすべてのアルバムへの批評でもある。そしてなお、ゼロ年代後半からの表現、今やあと数日で始まろうとしている10年代前半の表現にとって、この編集への意識というものが一つの鍵となるだろうことを、高らかに宣言している。

2009.12.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [音楽

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