スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | |

環ROY「BREAK BOY」

環ROYの新しいアルバム「BREAK BOY」は実直で律儀なアルバムだ。環ROYはここで、彼のような才能に溢れたアーティストであれば全く無視してもいい事柄について綿密に語っている。

おそらく、彼がヒップホップという狭いフィールドを飛び出して、外部に立つ覚悟を持っていることは、誰もが認るところだろう。だから彼は、トラックにおいてもリリックにおいても、その筋のリスナーやミュージシャンが認める「いわゆるヒップホップ」の音楽性から離れて、縦横無尽にラップすることができる。ところが、このアルバムには、一聴すると「いわゆるヒップホップ」のように聞こえる歌詞があるだろう。しかしそのように聞こえてしまう余地こそが、このアルバムが立ち向かった困難さを示している。

環ROYはこのアルバムの中で、何度も繰り返して、音楽に、ヒップホップに、両義的な評価を与えていく。「J-RAP」のなかで彼は日本のヒップホップシーンについて「排他的で閉鎖的」「ダジャレみたいでだせえ」「大人になれば卒業」だと言うが、しかし同時に「オレは愛してるさ」と認める。これを注意深く聞かなければならない。つまりこの歌詞こそが、一聴すると上述したような「いわゆるヒップホップ」に聞こえてしまうことだろうということだ。

もし、これがシーン全体に批判的な態度を取ってから「それでも自分の帰る場所であり、それが愛しい」と述べてみせるくだりであるならば、そのすべてがヒップホップという浪花節の焼き直しに過ぎない。つまり、シーン批判など存在しないも同然で、それは最終的には「シーンを愛する」という言葉を引き出すための順路なのだ。全体がシーンを保全するためにあると言って差し支えない。しかし環ROYがここでやろうとしているのは、「ダジャレみたいでだせえ」と言うことと「オレは愛してる」と言うことを同時に行うということだ。後者を言うためだけに前者を存在させるならば、それはインチキだし、しかも今この時代において「どちらが正しい」と言うことはあり得ない、彼はそう思っているようだ。「メジャーシーンは間違っている、俺たちのやっていることこそ本物である」と言い続けているだけならば、残されるのは最後までメジャーになれない小さなコミュニティだけである。そこでは一見、外部について語り合っているようで、誰もそんなことはできないだろう。EXILEなどが快調に売れていく中で、上述のような、シーンの内部に見せつけるための浪花節の物語を演じ続けてしまうだろう。本当に外部に対して、それが反抗であっても、態度を表明したいのならば、それではいけないのだ。「J-RAP」と同じことは、「BGM」の中で、ちょうど逆照射されるように歌われている。原曲を歌った仲井戸麗市は「ポップスを書かねえと ポップスを唄わねえと 甘いメロディー とろける節まわし 小娘達が聴き惚れそーなポップス」と述べた。これは、発表された85年には相応しいような、分かりやすい皮肉だ。しかし環ROYはカバーするにあたって、やはりポップスに両義的な評価を下そうとする。

ポップスを書かねーと
ポップス歌わねーと
大して売れやしねーし
バイトしなくちゃなんなくなるぜ
ポップスを書かねーと
甘いメロディーを作らねーと
自称ラッパーと呼ばれちまうぜ
一生Mステなんか出れるわけねー
上手い歌うたわねーと
下手だからオートチューン
クソガキが共感できる音楽
作らねーと 作らねーと

甘いメロディー
おしゃれなトラック
素敵な歌詞で
一発当てよう

これは原曲と同じくポップスそのものへの皮肉であるようだが、しかし同時に皮肉を気取っている多くの者たちがバイトに明け暮れているし、「一生Mステなんか出れるわけねー」のだと指摘している。「携帯着メロダウンロードしてもらわねーと話にもならねえ」と彼が言うのは、今や単に事実なのだ。我々はヒップホップを多くのリスナーに聴いてもらいたかったはずなのだ。そのことを認めなければ、自分たちの音楽は、自分たちのためのものにしかならない。環ROYは原曲の意図を理解した上で、その皮肉をも相対化して読み替えている。それは彼が、どちらも正しいとして、すべてを等価に扱いたがったからこそできたことだろう。

しかし、冒頭に書いたように、これは環ROYが書かなくてもよかったことだ。彼はいきなりはみ出てしまっても良かったのに、ヒップホップシーンに対して、成し得る限りの仁義を切っている。ひどく真面目で、律儀すぎる。ヒップホップを本当に批判するとはどういうことか、そしてヒップホップを愛しているから何をすべきなのか、それを言うのが本来の姿なのだから、それを言おうとしている。しかし、それを言うことは、今のシーンにおいては、そこから完全に出て行くことと同義になるだろう。だからおそらく、このアルバムがシーンから受け入れられても、受け入れられなくても、彼は納得するだろう。

その先にあるものについて。誰からも外部に立ってしまった先で、自分は一体何をするのか。彼は「love deluxe」や「Break Boy In the Dream」の中で何度も「全部気持ちの持ちよう」と自分に言い聞かせ、「ちょっとくらい苦しい方が上手くいくんじゃないかと思ってる そうやって折り合いを付けないとやっぱ立ってらんなくなる」と吐露する。さらに「分かれ道どっちも正解」と言って、自らが下したその判断に沿わせて、自らの行く先の確かさを信じようとする。この孤独な最後に、言葉は、寄る辺なき自らを鼓舞するためだけに使われる。そういう、このアルバムのエンディングは、弱くて切なくて、強くて美しい。

2010.03.30 | | コメント(2) | トラックバック(1) | [音楽

コメント

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

2010-06-21 月 21:48:15 | | # [ 編集]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

2013-02-07 木 17:55:59 | | # [ 編集]

コメントの投稿

トラックバック

この記事へのトラックバックURL


FC2ユーザー用トラックバックはここ

-

管理人の承認後に表示されます

2012.11.25 |

 | INDEX | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。