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Theピーズ「Theピーズ」

昨日の移動中はTheピーズ「とどめをハデにくれ」「Theピーズ」を聴いていた。どちらもピーズにおいて欠かすことのできない重要なアルバムだが、ではピーズにおいてさほど重要でないアルバムがあるのかと言われると、そんなものはない。なぜなら、どのアルバムも基本的には変わらぬ熱を持っているからである。だから、どのアルバムを携帯プレイヤーに入れておくかというのは非常に難しい問題なのだ。

「ピーズ、すなわち大木温之」は、歌詞の良さについて言及されることが多い。ミュージックマシーンのインタビューはそれをふまえて、あえて音楽性について語らせていたが、このタクヤさんの配慮はたしかに必要なものだと言える。なぜならピーズはやはりバンドとして存在することが前提としてあり、大木温之こそがすなわちバンドそのものではないからだ。したがって「ピーズ、すなわち大木温之」という考え方は間違っているのである。

ピーズをして大木温之の世界しかないと言い切ってしまうことはたやすいが、ピーズの実際とは全く異なる。大木温之は自分をバンドの中心的なメンバーとして認めながら、同時にバンドメンバーとしてしか扱っていない。ピーズに対する捉え方が「自分」ではなく「自分のバンド」なのだ。それは結局、歌詞においても顕著であって、大木温之はピーズとして、あるロックの熱量を伝えられれば歌詞なんて何でもいいと考えている。大木温之が歌の中で辛い生活や人との軋轢、自分の内面を描いても、それ自体はバンドとして伝えたいメッセージなどではない。「グライダー」という歌と「アンチグライダー」という歌が同時に成り立つのはそのためである。その二曲において、大木温之は心境の変化を伝えたいのではない。こういうこと言ってたらカッコいいし、でもそうじゃないことだってできるんだぜ! ということなのだ。ここにこの音が乗っていたらカッコいいねというのとさほど変わらない。ロックとしてのバンドのカッコよさが第一であり、歌詞自体が持つメッセージ性など二の次なのだ。当然、大木温之としての感情や心情はあるが、それはバンドの伝えることとは無関係だ。ピーズはロックがやりたいのだ。だからピーズのロックをジャマするようなどうにも感情的なものは、「めんどくさいのはイヤだ、捨て鉢でいい」という態度で、ひどくムリヤリにしか処理されない。彼からすれば、その態度こそをひどく感傷的にホメられても、まあうれしくはないだろう。

2006.11.17 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [音楽

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