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映画「鉄コン筋クリート」試写

何度も行けなかった試写会にやっと行く。相変わらず混んでいるのでいい席を探していたら西島君に声をかけられる。彼も今日来ていたのだ。五十嵐大介さんにも偶然に会ったという。挨拶して、並んだ席にかけて映画を見る。そのあと五十嵐さんと大介くん、安島さんと4人で食事。

映画は、原作を細にわたって読み込んで作ったことがよく分かる、非常に原作に忠実な内容。象が実体化してしまうくだり、ネズミと別れる時のビル描写など。「たからちょう」ではなく「たからまち」と読みを変更した理由がよく分からなかった。最初、実在する同名の街に対する配慮かと思ったが「たからまち」という街も存在するようだ。単に発音の問題だろうか。ただ、原作の「たからちょう」と映画の「たからまち」は似て非なる街だと思った。しかしそれでも僕がこの映画を「原作に忠実である」と思うのは、結局「鉄コン筋クリート」の世界をそのまま実体化することは、たとえアニメであっても不可能で、そして映像として同一でなくてもこの物語に忠実にすることが可能であった、ということである。もちろん、完全に絵の通りに作れば完全な映像化はたぶん不可能ではないが、何が何だか分からないものになるし、そんなものは映画ともアニメとも呼べない。スタジオ4℃が選んだのは、画面上では原作の世界をエッセンスとして継承し、物語のメッセージ性は原作通りに貫くということだったようだ。ゆえに、わざわざ引き合いに出すのははばかられるが、この映画の「カッコよさ」「分からなさ」のバランスは「AKIRA」のそれに似ている。

もっとも僕はこの作品のアニメ史的な位置づけにほとんど興味がなかった。ほか、松本大洋におけるメッセージの素朴さとノスタルジーの問題、それに関連し、冒頭から頻発するひどく分かりやすい比喩の話、「ここではないどこかという楽園」とあらかじめ「住めない」ことを決定付けられた都市についての話、ラッセンと326の話、そしてそのメッセージの現実に対する有効性、90年代と「アニメを見る層」の話、オタクと「時かけ」の話、映画というエンタテインメントに求められているものについて、そしてシロとイタチについては最終的に説明が不足してしまうことなど、いろいろ考える糸口を発見したが、結局それらは松本大洋の作品に元来備わっているものだった。だから、この作品はひどく原作に忠実だと言えるのだ。

2006.11.19 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [アニメ] [映像

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