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闇金ウシジマくん

「闇金ウシジマくん」はスピリッツの中では非常に好きなマンガ。端的に言ってしまうと「ナニワ金融道」や「カバチタレ!」のような「おカネ裏職業モノ」のマンガであると言える。「職業モノ」が現在のマンガの大きなジャンルの1つになっていることは今さら言うのもバカバカしいことだが、基本的にこれらのマンガはすべて同じで、だいたい2つのパターンしかない。その1つが「業界の常識」をもって読者の常識を裏切りながら「社会の裏側」みたいなものを描き、「へぇ~自分の知ってる社会の裏でこういうことが行われているんですね~」とか読者に思わせ、最終的には「そんな場所で人を動かすのはやはり心であった……」みたいな終わり方をすればよいというようなやつである。この「……」というのは何かと問われれば、要は「……(いい話です)」とかなのだが、ここには「……(現実って怖いね)」とか「……(空しい世の中だ)」とか「……(働くって大変だ)」とかが来たっていい。要はにじまされている感情を汲み取りなさいよということである。そのための「……」なわけだ。

しかし「闇金ウシジマくん」がこのような従来の職業マンガの常識を覆す、全く異なったものであるかといったら、果たしてそうではない。同じである。「世の中は奪い合いだ」とか「お前に(弱者からカネを取り立てる)罪悪感があるなら、なぜ日常では感じない?豚を殺す罪悪感もなくコマ切れ肉を食い、自然を壊す罪悪感もなくモノをゴミにする」「みんな独りだ。死ぬときは独りぼっちだ」などのひどくとってつけたように感傷的なセリフは、非常に職業マンガとしてありがちである。何だかすっかりケナしているようだが、しかし僕はこのマンガが好きだ。この人のマンガはクイックジャパンに載ってたやつから読んでいるはずだが、これ以前の作風はもっとずっと感傷的なマンガを描く人だった。絵やセリフのハードさがありながらも話がファンタジックすぎるという、「ある種の(僕があまり興味を持たない)ステロタイプなカルト作家的な作風」だったと思う。それがわざわざ「職業もの」であり「金融もの」、つまり「カネの話」をやるという、ひどく下世話でキヨスク的にポピュラーなモチーフを選んだことで、この人の持つポップさは本来の意味、すなわちポップの持つ真の毒として機能していると思う。「闇金ウシジマくん」というロゴも装丁もそれを分かりやすく補強している。

「絵やセリフのハードさ」についても同様で、今作では多重債務者やヤンキーのほとんど精神的に破綻しているかのような描写において功を奏している。過去の作品では世界はどこか作者が作り出した感傷的なものとしてしか成り立っていなかったため、そこでの暴力やアノミーは身体性のない、ひどく抽象的な存在でしかなかった。現実的な対象を持たない観念としての暴力なんて全く怖くない。前述した、「ある種の(僕があまり興味を持たない)ステロタイプなカルト作家的な作風」というのはそういうものである。しかし今作ではアノミーは、闇金というアンダーグラウンドな業界話に「リアリティ」を与える仕掛けとして機能している。要は「……(現実って怖いね)」というやつである。初期の挿話においてはそれを前面に出して使おうとした節があり、だから第一話から第三話くらいに出てくる債務者は精神的な破綻を必要以上に絵で強調されている。

そして、作者は感傷的なストーリーもちゃんと並行して描いていて、前述したような感傷的なセリフが「……」の別の部分をちゃんと担当している。かくしてこのマンガが正しく職業マンガとして成立せしめられているわけだが、それはやはり主人公クラスのキャラがほとんど登場せず、職業ネタも全然出てこない「ゲイくん」に集約されていると思った。この話のラストで丑島が言っている「人それぞれだろ?」というのは第一話で言っていた「こんな生き方もアリじゃねェの?」と同じで、これはつまり債務者の人生を全く否定しないということだ。これらのセリフは「世の中は奪い合いだ」とか「日常にも罪悪感を感じろ」のような、ほかの職業マンガでも見かけるような、職業を通じて「真の現実」を知っている主人公が、現実に甘い素人を嗤うというものではない。債務者の人生を否定しないということは、主人公の人生が肯定されるわけでも、読者の人生が肯定されるわけでもないということであり、その結果、職業マンガとして読者の常識を否定するのではなく、常識の存在自体が否定されてしまう。「裏社会」とは実際には「裏」とか「表」と分けられず、ただ読者にとっての社会と同じ場所に混在しているだけになる。こういうセリフはほかの職業マンガには出てこない。「へぇ~自分の知ってる社会の裏でこういうことが行われているんですね~」というインパクトをわざわざ否定しているからである。

このマンガに出てくる人々はいずれも、むろん丑島も、まっとうな社会に居場所がない人間ばかりだが、作者はそれを「裏」として描きたいのではない。「僕らはもっと嬉しくなるものいっぱい集めようね。可愛いものいっぱいいっぱい集めようね……」と語る「ゲイくん」は、しかし自分がダメな人間で、その人生に先がなく、この先ずっとこのままであると知っている。作者はその存在自体をただ認めている。この作者は「裏」を強調してリアリティを得たいのではなく、そういう現実はただそこにあるとしているのである。これは彼のアノミーの描き方と同じだと思った。

それにしてもこの人のマンガは目が怖いのがいいなあ。どの目も怖い。

2006.11.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [マンガ

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