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岡村靖幸「家庭教師」

ここにものを書くぐらいには落ち着いてきたが、依然として年末進行であり予断はならない。ただ、僕の場合は「25日くらいにすべてを片付けなさいね」という立場なので、明後日には長い休暇が始まる(だろう)。年末進行が年明けまでエンドレスに続いてしまう人に比べればずっとマシだ。

今月はずいぶんバイクに乗って行ったり来たりした。人を乗せたり、物を乗せたり。師走に引っかけているわけでもないのに走り通しであった。全く関係ないが昨日、秋葉原を通ったらメイド服の女が走っていた。通りを挟んで向かいのコンビニに入るために車道を横断してとしていただけだが、思わず「メイドも走る師走!師走だから!忙しいから!」と一人でウキウキしてしまった。

さてバイクに乗りすぎたので携帯の中に入っている音楽に飽きがきてしまい、いくつか取り替えた。メモリカードをもっと大容量のやつにすりゃよかったんだが、まあともかく歌が下手なアイドルどもを消した。代わりに4枚くらいアルバムを入れたのだが、最初に鳴ったのが岡村靖幸「家庭教師」である。この大変によくできたアルバムを、バイクの運転時に聴く音楽として僕は嫌いではない。最近分かったのだが、家で聴いて好きなものでも、運転中に聴くのにはあまり適さないものがあるようだ。そういうものなのだろうか。車に乗らないからカーステとか使わないし、知らなかった。

しかし岡村靖幸はとてもいいと思う。ただひとつ、たったひとつ難点があるとすればこの恐るべきアルバムの恐るべきタイトル曲である「家庭教師」における岡村靖幸のあえぎ声が気持ち悪いことだが、それは家で聴いても気持ち悪いのでしかたのないことだ。この声を聴いて気持ち悪いと思うたびに「俺はこういうものを気持ち悪いと思うからホモではないのだろうかな、いやホモってもいろいろあるからそうとも言えんのかな」などと、別に考えなくていいようなことを考えてしまう。この嫌悪感はタブーに対する興味の裏返しなのだろうかと自分で自分をむりやり勘ぐってみるが、この否定的感情の大本はこういう種類の男のナルシスティックな感性にブキミなものを感じているということのような気がするので、ホモ云々とは無関係なのかもしれない。

しかしこの曲はやはり傑作である。この曲にはもう1つ思うことがあって、それは要するにこの曲はエロいということなのだが、そのエロさはエロスとか芸術、はたまた「大人の魅力」などという題目を唱えることでエロを恥ずかしげなく表現しようとするような愚かなものではなく、ただただエロく、エロいのであるから下品で邪悪ですらある、ということだ。エロいからエロくて何が悪いんだというようなエロである。この曲を聴くと、誰もが口をつぐんでしまうような悲しい、痛々しいことをやってしまい、やってしまうぞ、やったらどうする、と言わんばかりな岡村靖幸の孤独でシャープな魅力についてよく考える。

「電話なんかやめてさ、六本木で会おうよ」という「カルアミルク」のように、どことなく懐かしさを感じさせる曲も収められているこのアルバムは平成元年にリリースされている。しかし収録曲である「家庭教師」は、おそらく女子高生と思われる女性にエロいことをするという歌なのだが、15年以上経つ今でも全く古さを感じさせず、今なおエロいままだ。

今聞いてもちゃんと破廉恥なのだから、当時はもっと破廉恥だとリスナーに受け止められただろうか。そうでないとすればエロについての世の感覚は今と15年前でさほど変わっていないということになるだろうが、そういうことってあるんだろうか。例えば平成元年すなわち1990年と1975年だったら間違いなくエロ感覚に変化はあったと思うんだけど、1990年と2006年では違いがないのだろうか。1975年と1990年と2006年では、何が変わって、何が変わらなかったのだろう。ただ一つ言えるのは、アルバムの中で一人芝居をしながら自分のあえぎ声を延々と聴かせた歌手は、日本ではおそらく30年を通してこの人しかいなかった、ということである。

2006.12.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [音楽

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