世界樹の迷宮
また仕事が忙しくなってきたんで仕事をしている。合間に「世界樹の迷宮」をプレイしている。僕はウィザードリィにほぼ思い入れがないので、ウィズファンのゲームシステムや世界観などに対する熱意のほとんどが理解できないのだが、3DダンジョンRPGは嫌いではない。例えば「ダンジョンマスター」などには、ウィザードリィなんかよりずっと深い思い入れがある。
「世界樹の迷宮」を新たにプレイするにあたって、これら過去の3Dダンジョン探求型RPGと「比べてどうか」という評価がこのゲームに対して失礼だろうなと思ったが、しかしゲーム制作者は意図的に過去のゲームの引用を繰り返して、プレイヤーに思い出させようとしているように見える。また引用か。別にそれ自体は悪くはないが、毎回毎回引用とかオマージュと書いていると自分がそれしか書けないバカになったように感じる。
それはともかく、しかしこのRPGは過去作品との類似性を意図的に用意しているにもかかわらず、系譜の上で連ねられてゲームとしてのデキで比較されたがっている、というわけではないようだ。つまりそれを引用する理由として、過去にそれらのゲームを楽しんだプレイヤーに懐かしさを感じさせたい、という意図しかないのである。
このようなノスタルジーに訴えかけようという意図は、引用がゲームのルール的な部分以外にも及んでいることからも伺える。例えば古代祐三のFM音源による音楽であるとか、「君たちは○○することもできるし、そのまま立ち去ることもできる」などというゲームブック的なシステムメッセージは、このようなダンジョンRPGが息づいていた80年代の空気をそのまま再現するものだ。だから、このゲームのウリであるはずのマッピング機能が妙に使いにくかったり、ステータス画面が分かりにくかったりしても、うっかり「昔の(雰囲気の)ゲームだから仕方がないか」という気分になってしまえる。昔は操作性の悪いゲームであっても、プレイヤーが我慢するのが普通だったのだ、このくらいのことは耐えねば、と思ってしまう。ソフトウェア的なマイナス点と呼んでいい部分の多くが、「昔はそういうものだった」という理由で納得できてしまうのはなかなか面白いことだと思う。納得できない(つまり、若くて昔のゲームをやったことがない)ユーザー以外は、この不便を自分に強いて、それに快楽を覚えることすらできるのだ。しかし、「イース」が当時に目指した「優しさ」に背を向けて、清貧よろしくゲームのマイナス点に楽しく耐えるなどということができるのは、コンピュータもゲームも今ではずっと進化して、至れり尽くせりの手ほどきをしてくれる「親切なゲーム」が増えたからこそなわけで、このような快楽は実はずいぶん贅沢なものなのだ。だから、あらかじめユーザーの豊かさや寛大さに期待しているというかどでは、このゲームは責められることがあるかもしれない。
2007.01.21 | | コメント(6) | トラックバック(0) | [ゲーム]