スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | |

世界樹の迷宮

また仕事が忙しくなってきたんで仕事をしている。合間に「世界樹の迷宮」をプレイしている。僕はウィザードリィにほぼ思い入れがないので、ウィズファンのゲームシステムや世界観などに対する熱意のほとんどが理解できないのだが、3DダンジョンRPGは嫌いではない。例えば「ダンジョンマスター」などには、ウィザードリィなんかよりずっと深い思い入れがある。

「世界樹の迷宮」を新たにプレイするにあたって、これら過去の3Dダンジョン探求型RPGと「比べてどうか」という評価がこのゲームに対して失礼だろうなと思ったが、しかしゲーム制作者は意図的に過去のゲームの引用を繰り返して、プレイヤーに思い出させようとしているように見える。また引用か。別にそれ自体は悪くはないが、毎回毎回引用とかオマージュと書いていると自分がそれしか書けないバカになったように感じる。

それはともかく、しかしこのRPGは過去作品との類似性を意図的に用意しているにもかかわらず、系譜の上で連ねられてゲームとしてのデキで比較されたがっている、というわけではないようだ。つまりそれを引用する理由として、過去にそれらのゲームを楽しんだプレイヤーに懐かしさを感じさせたい、という意図しかないのである。

このようなノスタルジーに訴えかけようという意図は、引用がゲームのルール的な部分以外にも及んでいることからも伺える。例えば古代祐三のFM音源による音楽であるとか、「君たちは○○することもできるし、そのまま立ち去ることもできる」などというゲームブック的なシステムメッセージは、このようなダンジョンRPGが息づいていた80年代の空気をそのまま再現するものだ。だから、このゲームのウリであるはずのマッピング機能が妙に使いにくかったり、ステータス画面が分かりにくかったりしても、うっかり「昔の(雰囲気の)ゲームだから仕方がないか」という気分になってしまえる。昔は操作性の悪いゲームであっても、プレイヤーが我慢するのが普通だったのだ、このくらいのことは耐えねば、と思ってしまう。ソフトウェア的なマイナス点と呼んでいい部分の多くが、「昔はそういうものだった」という理由で納得できてしまうのはなかなか面白いことだと思う。納得できない(つまり、若くて昔のゲームをやったことがない)ユーザー以外は、この不便を自分に強いて、それに快楽を覚えることすらできるのだ。しかし、「イース」が当時に目指した「優しさ」に背を向けて、清貧よろしくゲームのマイナス点に楽しく耐えるなどということができるのは、コンピュータもゲームも今ではずっと進化して、至れり尽くせりの手ほどきをしてくれる「親切なゲーム」が増えたからこそなわけで、このような快楽は実はずいぶん贅沢なものなのだ。だから、あらかじめユーザーの豊かさや寛大さに期待しているというかどでは、このゲームは責められることがあるかもしれない。

2007.01.21 | | コメント(6) | トラックバック(0) | [ゲーム

コメント

おおむね同意します。
敢えて言えば同人ゲームとか内輪向けのゲームっぽい。
だから僕はこのゲームにどっぷりハマったし、今でも家族のDSを独占してプレイしているけど
このゲームを他人に勧めたことはないし
web上でもその素晴らしさを一切語らない。

2007-02-16 金 17:52:06 | | 透 #RFphBmaY [ 編集]

透さん、貴重なご意見ありがとうございます!
僕も同人ゲームっぽいなと思いました。過去のゲームのオマージュ自体が商業作品には少ないことで、ましてこういうやり方は同人に近いものだとおもいます。昨日の記事で僕が同人ゲームに感じる特徴について書かせていただいている(http://someru.blog74.fc2.com/blog-entry-75.html)のですが、それを書きつつも「世界樹の迷宮」も同じだよなと思っていました。

「同人的であるがゆえにほかの人にすすめないし一切語らない」とおっしゃるのは、僕とは考え方を異にするのでたいへん興味深く感じました。たしかに「趣味的なものだから他人に語らずひっそりと楽しむ」という喜びはあるうると思います。

しかし僕は透さんのご意見を拝見して、むしろ時代は全く逆なのかもしれない、とようやく思い当たりました。尻馬に乗るようですがそのことについて少しお話しさせてください。

なぜ僕が異論を唱えるに至ったかというと、ゼロ年代以降にスマッシュヒットを放ってきた作品群は、その多くが明らかに周囲とのコミュニケーションをエンターテインメントの一部として盛り込んでいると最近考えているからです。

たとえば「涼宮ハルヒ」や「デスノート」などは、精読され、解釈されることを楽しみの一部として用意しています。僕はここで大風呂敷を広げます。この流れの源は90年代の「エヴァンゲリオン」にあるのではないでしょうか。そして、その最もラディカルな形での結実が、「ひぐらしのなく頃に」なのではないでしょうか?

「周囲とのコミュニケーション」の「周囲」とは「インターネット」と置き換えて差し支えないと思います。ゼロ年代的なブログの整備は、私たちの趣味的な「周囲」を拡張したのです。このことは先日発売の「QuickJapan」でも触れられたことで、お買い上げ頂かなくともぜひご参考いただけたらこの上ない喜びです。

さて僕は、この「コミュニケーションを作品の一部として盛り込む」ということと、「内輪向けな」世界、すなわち「同人」的な世界を漠然と異なったものだと考えていましたが、透さんにご指定記いただいて、2つがつながりました。「オマージュ」は今や、それを分かり合う人だけで構成された物理的に小さなサークルに目配せする、それ故に「ほかの人にすすめないし一切語らない」ものではなく、このインターネットのような拡張された「周囲」という大きなサークルで我々がそれを語り合う道具として用意されているのではないでしょうか。

そして、「世界樹」のオマージュは、懐かしさを感じさせた結果、それを周囲に語られたがっていました。「それらのゲームを楽しんだプレイヤーに懐かしさを感じさせたい、という意図しかないのである」と僕は書いて、それは間違いではなかったのですが、それが何を産むかについて考えるべきでした。開発者のポッドキャストの第7回をぜひお聞き下さい。以下に最も重要な部分を書き起こします。この部分はポッドキャスト配信のおそらく最終回として、開発陣からの「世界樹」に対する1つの総括として語られました。

--------------------
真面目な話をするとですね、あの、まあ「世界樹」もさあ、何て言うんですか、オレが小学校の頃のゲームとかってさあ、ファミコンのゲームやったらさあ、その話で、なんかこう一晩盛り上がれるしさ、そのサブストーリー書いたり絵描いたりするじゃないですか。そうしてくれ!って話ですよ。だからトラックバックとかも、その、なんでこう、別にトラックバックキャンペーンとか無理にする必要なかったんだけど、こういうのやるとおもしろいよって言うことがね、まず大きいことだし、自分のその脳内妄想とかを、存分かたってくれと。ゲームってそのためのツールとして今回作った部分があるんだから、面白いのはこっからでしょって話なんですよ。だから、そのクリアしてスキルがどうこうっつう話するのも、もちろんうれしいしね、やってもらうのはいいんだけど、もっとこう、クリエイティブったらひどいんだけど、何ていうのかね、ゲームをね、肴にして遊んでください、ってことを言って終わりたいですね。
--------------------

この話は、このブログ全体のテーマと大きくかかわっているので、今後これについては改めて記事にすることがあると思います。ともかく、重要なご指摘をありがとうございました!

2007-02-16 金 22:24:33 | | ソメル #- [ 編集]

私には単純に面白い

世界樹の迷宮を検索していてたどり着いたら、随分懐かしい歌をパラグラフにあげていらしたので、びっくりしました。ゲームですが、私はゲームをほとんどしない年寄りで、しない理由はご多分にもれず今時のコントローラーを扱えないからです。DS用だったらなんとかなるかな?とこれに手を出したのですが、ネット検索しようと思う位気に入っています。正直、一気呵成に進める気力も体力もない年寄りには丁度良い手間の係り具合です。ぼちぼち楽しみたいですね。DSは高齢者に向いているハードなので、こういう古臭いようなゲームがよく合ってるかも知れませんね。昔のゲームの記憶がかすかにあって、ちょっと参加してみたいなーみたいなポジションの私みたいな人向き。攻略本が出たら買って読むのを楽しみにしています。なんかお書きになっている記事とはピントがずれた内容ですが、すみません。「ハーングザブレストディージェー」のフレーズが頭によみがえってつい投稿したくなりました。

2007-03-15 木 17:43:50 | | こいこ #- [ 編集]

流れの源がエヴァンゲリオンにあるという話はそうだと僕も思います。
サークルとか同人活動とかそういう身の回りの人間だけで一つの題材を
楽しむという事はずっとあったのだと思いますが、結構大きな範囲で
そういう楽しみを共有し合うという形は、我々の世代だとエヴァが最初だと思います。
(その前だとヤマトとかあったのでしょうけれども)
東北地方の高校生だった僕は当然エヴァの本放送など見れてもなかったし
その存在を知ってすらいなかったのですが、それがいつの間にか都市伝説
の如く耳に入ってきて「何なんだろう?」と興味を掻き立てられ
漫画を読んだりアニメ雑誌を買ったりという事を始めました。
確実に掴まれたのは井出功二のゲルゲットショッキングセンターという
エヴァ特集をしてたラジオを聴くようになってからです。
(ゲルゲは関東ローカルだったので雑音に耐えながら聞いてました)
その時点ですらエヴァ本編は見ておらず、ラジオからながれる断片的な情報を元に
勝手にストーリーを考えたりしてました。漫画版も3巻くらいまでしか出てなかったし…。
つまりはどういうことかと言うと「ラジオを通してエヴァを肴に盛り上る」という形が確かにあったという事です。
(しかもすごいのはそれは必ずしもエヴァそのものを見ている必要すらなかったという…)
ゲルゲが流れる時間に二年遅れのエヴァの再放送がローカル局で始まったのですが
そちらは録画だけしてラジオの方を聞くという感じで。
なので俺はエヴァというと庵野よりもゲルゲの井出功二の方を思い出します。
劇場版の綾波が大きくなる所で流れる音楽を井出がゲルゲで流して
「沁みるなぁ…」としみじみ漏らした一言の方がエヴァそのものよりも感動的で
それ訊いて泣いたりとかしました。「ああもうお祭りも終わりなんだなぁ」と思って。
エヴァの本編も確かに面白いんですが、それ以上にエヴァを通したコミュニケーション
が面白かったんだと泣きながら思いましたね。当時。

2007-03-16 金 22:35:25 | | ハイパ-うんこ #- [ 編集]

こいこさん、コメントをありがとうございます!
僕もこいこさんのように、最近になってゲームに触れ直した者です。最近ではこのようなゲーム層の拡大は、96~97年の、セガやSCEIがゲームに興味のない層に向けたゲームを次々に作ったムードに近いかもしれないと思います。あの頃は、ゲームが複雑じゃなくてカッコいいものとして、若者に受け入れられようとしたゲームがたくさん出たよなあと、「NiGHTS」の続編が出るかもしれないという話を見て思いました。今の任天堂は、全くゲームに触れたことのない高齢者などと、昔ゲームが好きだった人の両方を取り込もうとしていますよね。当時言われていたことに、ゲームというのは一般的に娯楽の中では優先順位が低いから、他の娯楽より上になるようなことをしなければいけない、というのがありましたが、これは今行われていることにもそのまま当てはまる話だと思います。ご指摘のコントローラの件もそうですよね。
the Smiths「Panic」については、このブログが終わる頃に書こうと思っています。このブログの中身だけでなく、タイトルについて気にかけていただけるのはとてもうれしいです。ありがとうございます。

2007-03-20 火 00:49:48 | | ソメル #- [ 編集]

ハイパ-うんこさん(素敵なハンドルですね!)、コメントありがとうございます。

僕もエヴァを見たときに地方にいたので、おっしゃることはとてもよく分かります。僕の場合は最初に触れたのが本放送だったのですが、しかし全く知識がなかったときに、夕方に偶然テレビを付けたら第弐拾弐話のロンギヌスの槍を投擲するシーンで、全く理解の範疇を超えた強烈な映像体験が今でも思い出されます。それからすぐに本放送は終わってしまったので、僕もいろんな資料を集めたりウェブの議論を見たりして、自分の見たあの映像と照らし合わせて物語内容を空想し続けたものです。蛇足ですが当時はエヴァを物語として論じる人が全くいなくて閉口した記憶がありますね。最近もけっこうそういうムードがあるような気がするなあ。

2007-03-20 火 01:03:55 | | ソメル #- [ 編集]

コメントの投稿

トラックバック

この記事へのトラックバックURL


FC2ユーザー用トラックバックはここ

 | INDEX | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。