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僕の小規模な失敗

「七里の鼻の小皺」さんからリンクしていただいていた。本当に心強いことだ。ご指摘は全く妥当で、僕はこのブログに、量と、それを成り立たせるためのスピードを求めている。その理由は、こう書けば少なくとも彼に伝わるのではないかと思うが、このブログを始めるときに、連中をブッ殺すにはまず大量の弾が必要だと思ったからだ。一人でやるのは不可能ではないはずだと思ったが、実際に一定以上の水準を保ってそれを成すのが簡単ではないのは無論だ。僕のこのやり方はもっともっと過剰でなければならないはずなのだ。だからこそ、「大量の弾が必要だ」と思った僕が「世界の片隅でこっそり核兵器を造っている」と書く彼に言及されることは、ある種の共犯を得ているようで心強い。だからここには、ひょっとすると失礼なことかもしれないが、「むろん七里の鼻の小皺もまた全く素晴らしい」と書き留めておきたい。彼はこの状況をはっきりと自覚して、なすべき事をなしている。左のリンク集からリンクされているサイトは、僕にとって本当に信頼に足るサイトばかりで、僕はそれを誇らしく思う。

さて、もうひとかたリンクしていただいていた「私は丘の上から花瓶を投げる」さんが福満しげゆきを読まれていたが、ちょうど僕も「僕の小規模な失敗」を読んでいた。これは、実は通して読もうと思いながら、ずっと読んでいなかった本だ。この話はたぶんニートとかワーキングプアとかランチメイト症候群とか、何となくいまどきキャッチーな現代の若者像に当てはめることが可能なのだろう。だが、読めば分かることだが作者はこの物語を清く貧しく美しくは描かなかった。このマンガの素晴らしさは、主人公がいい加減かつ最低な人間であるところだ。貧しいからといって、清くも美しくもない。

そもそもこの本の最初のセリフは、第一話のタイトルコマにある

一時はどうなることかと思ったけどなんとか高校に入れてよかったよ

である。まずは、中学の時点で既に何かロクでもないことが起こったあげくとして、この物語は始まるのだ。そしていろいろロクでもないことが起こるわけだが、その後に第6話でようやく大学に入ったときのタイトルコマのセリフが

一時はどうなることかと思ったけどなんとか大学に入れてよかった…

なのである。なんという反復であろうか。笑ってしまった。2回とも全く同じシチュエーションで同じセリフ、が用いられているのは実に効果的な作者の演出である。これは、前にも思ったことを、前にも思ったのと同じように思っていて、しかも彼はその過去を全く思い出しもしない、という極めて説明的な描写なのだ。この作品はエッセイマンガ風に自伝を語っているようにも見えるが、実は非常に技巧的である。

主人公はけっこう、何とかしようと思ってオロオロし、いろいろと手を尽くす男だ。行動力がないから何もできず、うまくいかないわけではないのである。彼なりにいろんなことをやらねばならないと思って、遂行している。彼が常に現状を常に変えなければならないと思い続けているのは、このまま進んだ先に全く想像のつかない不安な未来があるような気がするからだ。「遠い将来」の恐怖ゆえに、いきなり別の現実にシフトしてしまいたいのだ。が、その先でどうするかは全く考えていない。彼には常に「近い将来」がないのだ。だからいきなり状況を変えても、何ともならないのである。うまく立ちゆかずに破綻が訪れ、そして「遠い将来」がさらに恐ろしくなる、というループが繰り返される。このままだと彼にとって人生は結局、常に直前について「一時はどうなることかと思った」と思い続ける時間だけが繰り返されてしまうのである。主人公の彼自身はその循環に無頓着で、ただ場当たり的に物事を変えながら「一時はどうなることかと思った」と思い続けている。だが作者はそれに気づいていて、マンガの手法の上で活かすことができる。だからこれは笑いどころとして成立するのである。このマンガは、作者が切ない自伝を語ろうとしているわけではない。辛い気持ちに共感してほしいわけでもない。辛い生活を送る主人公に寄り添いながらも、どこか突き放している。この距離の取り方が絶妙である。

また、主人公のそういうダメさをコミカルな笑いとして昇華しないところがこのマンガの魅力だ。ほかのマンガでは、例えば「バタアシ金魚」のカオルなどは、「みんなと違う変な奴がいます」という位置づけがされてしまっているので、スラップスティックなギャグなどを柔軟にこなすことができる(つまり彼はしばしば人間として扱われない)が、その代わり彼の内面の問題は、本当に残念なことだが、理解されにくい。カオルがなぜあの誇大妄想的なキャラクターを演じなければいけないかすら、読者はほとんど考える必要がないのだ。しかしこの作品はそうではない。「変な奴」を、言動も内面もつぶさに写実していくため、読者は彼の心理に付き合い、トレースしなければならない。常時、手前勝手な目先の問題に対して必死で応対し続けているのである。それを「がむしゃらでいい」とはとうてい言えないし、まして清く美しくなどない。だが、この作品にリアリズムがあるのはそのせいである。深く共感しうるのは、世のほとんどの人は清くも美しくもないからなのだ。

このマンガで一番面白かったのは、バイト先に来た気になる女の子が忘れ物をしたシーンだ。「あ!! カバン忘れていってる!」の次のコマで、彼は間髪入れず「急いで中を見ないと!!」と手帳をあさるのである。彼はただただ必死な顔をしてそれをやってしまうわけだが、ここが面白いのは、この行為が全くツッコミ待ちになっていないことだ。他人のカバンを勝手に開けて手帳を見ることが1コマで片付いて、シーンとして強調もされず「オレはこんなにダメなんだよ」という主張にもなっていない。些細なことであり、いい悪いの問題にすらならない。その是非を読者が判断することなんて期待されていない。そして、読者としても問題視せずに読み進められるのである。主人公の心理に付き合っているうちに、読者の意識まで混乱させられてしまうのが面白かった。

だから逆に、「誰かが僕を尾行してて彼女に言ったのかな? 誰が!? 政府か? なぜ政府が僕なんかを!」のような、必要以上にコミカルさを強調されたセリフには面白みを感じない。このような強調されたキャラクター性は作品の後半になるに従い増えているようだ。彼女ができたせいか、主人公のダメさは次第に深刻な問題ではなくなってしまう。ダメさを何とかしないと、童貞だしホームレスにでもなるしかないという、必要以上の焦燥感は失われる。それゆえダメさは安全に扱えるものとなり、マンガの面白さを作るために使われるようになるのだ。主人公と読者と作者は限りなく一体感を持ってあの焦燥感を味わっていたが、後半では主人公は読者と作者にとって「マンガの登場人物として面白さを見せてくれる人」という第三者的な存在に退く。しかし、それをおいてもラストの主人公の述懐はいいと思う。

僕はいろいろ思った
いろいろなことが…
あったようななかったようなこれまでだったけど…
落ち込んだりもしたけれど…
よくよく考えてみれば今まで
これでよかったんだ…
…………いや
むしろ幸せな人生だったのではないかな…?

これはひどいまとめだ。これまでのまとめであり述懐であるにもかかわらず何ら具体性がないところが主人公の性格どおりだ。笑うべきオチとして、この最低さはとても見事だ。続編的な短編連作「僕の小規模な生活」は、やはりもうあの根拠の不確かな焦燥感を読者に押しつけようとしてくれないため僕はあまり買っていないのだが、それでも作者のこういう言葉のうまさは随所に出ていると思う。

2007.01.26 | | コメント(2) | トラックバック(0) | [マンガ] [文章

コメント

共犯というのは、一番嬉しい言葉でした。いつも、ぼくより何歩も先を行っていて、効果的な戦い方をされているソメルさんに、言葉の使い方を教わっているような気がします。
さまざまな場所で、驚くほどひどい方向に言葉の群れがすすめられている以上、戦いは局地戦である他なく、たしかな方向性をもった言葉を、それぞれの場面にひとつずつ撃ち込んでいくしかありません。「大量の弾が必要だ」と、強く感じます。こうした戦いは、当然ゲリラ戦にならざるをえないわけですが、それでももちろん、同じ作戦に関わっている人からの目配せを感じるのは心強いことで、とても勇気づけられています。ぼくも、早く最前線に加われるように、書きつづけたいと思います。
それではまた。

2007-01-27 土 00:33:01 | | nanari #GW/AxhRY [ 編集]

nanariさんコメントありがとうございます!nanariさんのように素晴らしい文章を書かれる方に「先を行っている」などと評していただくのはお恥ずかしい限りです。むしろ、いつも文章を拝見して僕が書く力をいただいています。ゲリラ戦にはいつもそれぞれの活動しかありませんが、nanariさんのような書き手がいるのだから、この状況を見過ごしている彼らに何かを突きつけられるはずだと思って続けることができます。

2007-01-27 土 06:48:46 | | ソメル #- [ 編集]

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