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ジャバウォックの花嫁

僕が最初にプレイしたPlatineDispositifのゲーム「ジャバウォックの花嫁」が無料でプレイできるようになった。

僕は同人ゲームの面白さは、商業タイトルでは不可能なアイデアのあるゲームを、短い開発期間で、しかし商業タイトルに劣らないクオリティでリリースできることにあると思う。80年代にパソコンが一般普及した頃から個人作による、しばしば無料のゲームはずっと存在していた。その黎明期には個人とソフトハウスの間に技術的な差はさほどなかったが、ソフトハウスが個人を引き離すのにさほどの時間がかからなかったのは言うまでもない。やがて個人作のゲームは、どんなに優れたアイデアを持つものであっても、あくまで個人のできる範囲上での、という断り書きが必要なものになってしまった。ごく単純な例を出せば、個人がファミコンのゲームを作ることはできなかったし、できることはファミリーベーシック上においてだった。一部の例外を除き、個人が商業タイトル並みの技術を駆使したゲームをリリースできるようになったのは、廉価で扱いやすく、ソフトハウスとほぼ同等な開発環境が十分に整備された00年代以降であると言っていいだろう。技術力が同等になると、同人ゲームはまず商業タイトルにしかできなかった表現を晴れ晴れしく模倣し始め、そしてそれが一段落するとついにそのアイデア性の高さを十分に発揮し始めた。

同人誌や同人音楽は既に商業作品のパロディとしてだけではなく、商業作品に不可能な表現を自由闊達に行うものとして地位を確立していたが、やや遅れてゲームの世界にも同じ波が訪れた。先んじてノベルゲームには既にその波は到来していたと言えるかもしれないが、ともかくこれでほぼあらゆる「同人」分野にはDTMやCD-Rがインディーズ音楽を変えたのと同じ、しかし比較にならない規模の大きな変化が起こったのだ。2002年に新海誠は映像表現に衝撃を与えたが、それは映像だけに起こったことではなかったのである。

同人作品の1つ1つは、時にセオリーを無視していたり、アイデア一発であったり、乱暴であったりもするが、それこそがまさに「商業作品に不可能な表現」そのものであって受け手を驚愕させ、酔いしれさせる作品の力である。「ジャバウォックの花嫁」は以前たまたま動作確認版を見つけてプレイしたものだったが、僕はクォータービュー迷宮探索アクション+弾幕シューティングという発想と、その高いクオリティに圧倒された。誰かが、このゲームを例えばちょっとしたアイデアだと言ってしまうことはできるだろう。しかし、ひょっとしてこのゲームをソフトハウスの開発者が発想しようとも結果としてリリースされないのは明らかで、そして余裕綽々として高い技術と練り上げたゲーム性を保証しえたのはPlatineDispositifだけだったのである。これがまさに、このタイトルに限らず、同人ゲームのすごいところだ。おかげで我々はハイレベルに実現されたアイデアに触れ、驚嘆することができる。そしてなお、今この面白いゲームを無料で体験できるのだ。なんて素晴らしい。

2007.02.15 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [ゲーム] [アニメ] [映像] [マンガ] [音楽

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