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Poppins「恋のJET SHOOTER」

電波ソングを意図して作られた電波ソングにどれだけの価値があるだろうか。

そもそも僕は電波ソングという呼び名が何を指すつもりなのかよくわからない。笑いの要素を持っているならそう呼びうるのか、声優とおぼしき人物がアニメ声で歌っているからなのか、歌われている世界観が常識外れなものなのか、デタラメなDTMによって作られた不自然きわまる楽曲がそうなのか、それとも、「ワタシはウタがヘタ」という歌もあったが、単に歌が壊滅的に下手なのだろうか。しかし今挙げた「ワタシはウタがヘタ」を例に見ても、タイトルが示すほどに歌が下手なわけではない。僕に言わせれば、例えばニャンギラスの方がよっぽど下手である。むしろ最近の声優は歌がうまいとすら思うから、これは電波ソングの特徴としてあたらないかもしれない。「歌が下手だ」としてジャンルにその名を残す電波ソングは、人間の歌うことを全く考えずに作られた楽曲にこそ、そう名指しされる理由があるとした方がいいのではないか。

いずれにせよ、制作者が至って真面目な気持ちを込めて作った曲が目論見通りに運ばず上のような特徴を備えてしまえば、そこに「電波」、すなわち狂気を感じることはできるのだろう。しかし例えば、アダルトゲームの開発者が他人を笑わせるためにこれらの馬鹿馬鹿しい要素をしたり顔で盛り込んだ電波ソングを作ろうとしたら、それも電波ソングと呼んで差し支えないのだろうか。つまり、電波ソングと呼ばれる一連の楽曲があることを理解した上で、あえてその特徴を盛り込んだ楽曲を作れば、それは電波ソングと呼んでいいのか。このような楽曲はいわば「ネタ」である。冒頭にあげた僕の疑問とはそのようなシニシズムについての問題だ。

もちろん、いいのだろう。電波ソングとは今や上記のような特徴を備えた一連の楽曲を指すジャンル名であり、それが制作過程において明確に目的とされていようがいまいが構わないのである。だから「ネタ」として作られた電波ソングを、我々は「ネタ」として楽しむことができる。違うのは、作り手の「ネタ」への意識の高さを評価できることだ。

しかし、そうなるとここで僕にはもう1つの疑問が浮かび上がってくる。では作り手は、上記のような特徴を備えた楽曲を自覚的に作るにあたって、「ネタ」としてそれらを盛り込むしかなかったのだろうか。作り手が純粋にこのようなパワーを持った楽曲の作り方を愛して、聴き手もそれを欲してはいけないものだろうか。

これもむろん、そんなことはない。僕はPoppinsを聴いてそう感じる。これは一体、何だろうか。おしゃれな音楽だろうか。エレポップだろうか。アイドルポップスだろうか。それとも、これをして電波ソングなのだろうか。僕にとってそんなことはもうどうでもいい。

それはなぜか。僕は今「恋のJET SHOOTER」のPVを初めて見たが、これは「HAPPY COSMOS」と共通の世界観を持っている。今日日ありふれたものだと言われても構わないが、そんなことよりも例えばCornelius「Star fruits surf rider」のPVが表現しようとしている世界と、さほどの違いがあると言えないことのほうが興味深い。似たようなものである。Björk「Human Behaviour」もそうだと言えばより確からしいだろうか。そして、そうでありながら、その中の1つは間違いなくアニメ声で歌われないと成り立たないものなのだ。

しかし、「ネタ」というシニシズムに退避して電波ソングというカテゴライズを受け入れていると、これらを同列に扱うことなんてできやしない。音楽的にも、「音楽としてもよい」くらいの評価しかできないのだ。毎度シニカルな笑いを見せてから「案外いい歌」と言わねばならない態度なら、これを掛け値なしに好きだと言えなくなってしまう。「電波ソング」とは単にジャンル名のようでありながら、それ以外の機能を持たされているのである。

この「ネタだからこそ」でないと熱狂できないという態度は、たとえば音楽に知識を持ちつつも「オタクっぽいから」のような理由でみらゐ(サイドプロテア)の「猫鍋」を評価できない態度と、実はそんなに違わない。対象に正対できないせいで楽曲をジャンルの境界に立たせてしまうことでは同じである。これはおそらく、Dimitri From Paris「Tsuku Yomi Mode」と「LOVE LOVE MODE」という対になるべき曲をどう扱いうるかに、分かりやすく集約される問題であるはずだ。

僕は、Poppinsをただいい、ただ好きだと言えねばならない。「ネタ」だとか「電波」だとか、「声優」だとか「オタク」だとか、もしくは「テクノ」だとか「アイドル」だとか、彼女たちをどちらかに傾けてしまうと、僕は作品以外の何かを見て話していることになるだろう。

2007.02.19 | | コメント(2) | トラックバック(0) | [音楽

コメント

昔モンドミュージックについて同じような問題意識がもたれていましたね。モンドミュージックは送り手の意図とは違うものを受け手が解釈する、というような構造であって、最初からモンドミュージックを作ろうとして作ったものはズレが生じないからモンドミュージックではないのではないかという。

でも何か異国情緒溢れるラウンジを聞いてモンドっぽいなと思うことはあるので、やはり一度名前が定まると意味だけが変わっていくパターンなんでしょうかね。

2007-02-21 水 16:24:03 | | polytope #- [ 編集]

polytopeさん、的確なご指摘ありがとうございます。
たしかに「モンド」のお話は僕の書いたものとかなり似通っているようです!モンドと名付けることであの時代の受け手が対象を受容可能にした(僕の言い方だと「アリにした」になるかと思います)ことと、今オタク文化に起こっている電波ソングというジャンルの拡張が相似であるというのは、僕にとってなかなか示唆に富むものでした。もうちょっと継続して考えてみたいと思います。ありがとうございました。

2007-02-21 水 19:43:14 | | ソメル #- [ 編集]

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