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偶然を飼いならす―統計学と第二次科学革命

イアン・ハッキングの新刊が出ているので買おうと思ったが、あまり面白そうじゃなかったので旧作である「偶然を飼いならす―統計学と第二次科学革命」を読み直した。前に読んだつもりだったんだけど、全然覚えていなかった。面白い本である。冒頭に献辞としてこのように書かれている。

この博物誌的な書物を、好奇心に満ちたすべての読者に捧げる

この言葉には嘘がなく、統計学も歴史もあまり好きじゃない僕をも満足させるに十分な面白さがあるのだった。この本は役に立ったりためになったりするよりも前に、実に面白いのだ。本論とは全く関係のない挿話的な註がいくつも付いていて、それを読むだけで楽しい。含蓄でも蘊蓄でもいいけど、好奇心のあるすべての人に、ただ面白いからという理由だけで薦めたくなる本だ。

僕が統計学や歴史をさほど好きじゃない理由は、なぜなら、そのどちらも一般社会において、盲信と言って差し支えないような信頼が置かれることが多いからである。実に子供じみたことで、僕がしばしば統計学や歴史に嫌悪感を表して、ことさらに軽視してみせようとしたのは、個々の学問についての不満からではなく、それらを何か絶対的な真理であるかのように扱おうとする人達に対する憤慨からだったのである。

この本は簡単に言うと統計学の歴史についての本だ。それを僕が面白いと思える理由は、一つにはまさに、この本が当然のこととして統計学が絶対的な真理を提示するものだという考え方を否定しているからである。それはまず、統計学は起源的に神の御業を証明するために必要とされたということから説明されることから分かる。これはやはり、統計とはいわゆる科学なのだと信じる人にとっては意外な話なのである。しかも統計学は神や決定論を否定しながら、さらに神に代わって新たな決定論の王になろうとした科学をも、紆余曲折がありながらも裏切るのである。統計はついに、世界が偶然に成り立っているということの説明でしかなかった。事物は判断されるのを待ってさえおらず、単に我々の前に横たわっている。統計は意味を持った資料ではない。意味は常に読み手にとっての問題である。男女の出生率がほぼ同数で、かつわずかに男子の方が多いとき、そこに神の業を見るか、それとも生物科学を見るかは、解釈に委ねられているのである。

この本には社会学的な面白さがあると思う。社会学は社会の真理を解き明かす学問ではなく、現実について解釈を加える学問だ。僕が社会学を愛したのはただその一点においてのみだった。現実を読み替えながら、いつの間にか読者を一般通念とは異なった結論に導いてしまう。そこには、社会学自体が社会に対して実効性を持たなくても構わないと言い切れるほどの皮肉がある。だから僕は、社会学の理論自体が世の役に立つとは、いまだに信じていないところがある。また昨今、社会学が僕の思っていた以外の形でしばしば人々に取り上げられ、議論の外部に立ったり、あらゆる事物を相対化するツールとしてのみ使われて、しかも社会学者がのうのうとそれを眺めているかにみえることに、それなりの不満もあるのだ。

ハッキングの議論は、彼の主張自体もまた真理ではないということを示唆している点で、社会学の最も楽しい部分を備えている。語り口はユーモアに満ちて、かつ極めて慎重に、さりげなく、いつの間にかすべてをひっくり返そうとする。このミステリのようなやり口はとてもスリリングで面白い。最近の学生はこういう面白い本を教科書にしてもらえたりするんだろうか、そうだとしたらうらやましいことだなあと思った。

2007.03.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [文章

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