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下妻物語

最近FC2がすごく重くて、直るだろうと思って何日か待ったがどうやら直らない。直らないというか、なぜかメインで使っているパソコンだけで記事の投稿が通らない。そういうわけで、テストのような気持ちで投稿します。

それから、もう一つあった。FC2から「4月になったら勝手に広告を消しているブログは消すからな」という通知があったようだ。「あれ?広告消せるじゃん」と思って試みに消してみた僕だが、しかし記事を投稿できなくてイライラしていたときにそんな通知を受けたので何となく癇に触った。直してやろうか、どうしようか。なんてことをやっているうちに、ここはもうすぐ消えるのかもしれない。全く僕は無料サービスの利用者には向かない。

最近映画が見たいのだけれど、上映中のものを見に行く機会になかなか恵まれない。だから家で「下妻物語」を見た。最初テンポがひどく悪くて閉口したが、後半とても面白くなった。これだけさらっと面白さを作れるなら、前半の変わった演出や絵なんて全くいらないのではないかなあと思う。それによって視聴者の興味を持続させようという目的でやっているのかもしれないけれど、あれをやらないと視聴者の興味が離れていってしまうのではないかという不安自体が、僕には神経症的なものに思える。邦画には、映画というもの自体にメタ的な視点を注ぎながら、いかにも面白いことをやっていますという演出を見せるものがしばしばあって、僕はあまり好きじゃない。そこに「今オレ、映画を作っています。映画っぽい見せ方をしています」という目配せを感じるからだ。

話は本当に面白くて、二人の主人公の対比もうまくいっていると思う。細かな伏線やエピソードの挟み方もいい。僕は映画に詳しくないので、それが脚本の良さなのか、演出の巧みさなのかは判別できないけれど。しかしここまで作れているのに、なぜ作り手は前半のギクシャクした展開を必要としたのかが気になる。ひょっとしたら、ギクシャクしていた映画のテンポが中盤以降からどんどん整理され、スピード感を増して、視聴者に「さほど興味を持っていなかったのにいつの間にか引き込まれる」という体験をさせるための演出なのだろうか。それなら、ずっと「私は心根が腐っている」と言って感情移入を受け付けなかった深田恭子が、後半で土屋アンナと心を通わせ、さらには観客と一気にシンクロしていく課程に重なるのだ。なるほど、ここで深田恭子というキャスティングが見事に活かされている。作り手は、二人の主人公が他者を理解するという問題を、登場人物だけに押しつけなかった。この映画は、まずは理解不能なものとして遠ざけやすく用意された彼女に同一化するためのものなのだ。

ダメだ。やっぱ投稿できないや。困るなあ。

2007.03.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [映像

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