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ヨッシーアイランドDS

任天堂はマリオを使ってディズニーがやりたかったのだと思う。少なくとも、マリオとソニックがまだ競争関係にあった96年ごろに僕はそう考えていたし、その考えは正しかったと思う。対置するものとしてソニックをおけば、任天堂の姿勢はずっと分かりやすかった。セガはソニックを、若者に愛されるカッコよさのアイコンとしようとした。その意図は「ソニック・ザ・ファイターズ」から「ソニックアドベンチャー」くらいまでの作品には特に顕著に表れていると思う。

対してマリオである。任天堂の姿勢を評価するにせよ、貶すにせよ、それをして「子供向け」と断じる人はあまりに軽率すぎると僕は思う。あの安全さとエンタテインメント性の高さは確かにディズニーに範を求めたものだろう。ディズニー的な世界がどんどん進出していく様には、徹底管理されたセキュアなものがことさら求められる今の社会を論じる鍵がある。だからディズニー的なものを「子供向け」と言ってうち捨てていては現在について考えるのは難しいし、任天堂が何を踏まえてリリースを行っているか考えることができなくなる。

「ヨッシーアイランド」は95年、スーパーファミコン時代の終わりにリリースされた。僕はプレイしていないが、しかし当時「ベビィマリオ」というキャラクターを見て、ディズニーにおける「ディズニーベビー」が容易に想像できたのを覚えている。「ヨッシーアイランドDS」もやはり、このスーパーファミコン版の「子供向け」を踏襲しているしかし、初めて僕がプレイするこのシリーズは、なんだかすごく操作が煩雑だ。見た目とは裏腹に、ボタンをちゃんと駆使しなければクリアできない。これならたぶん、「Newスーパーマリオブラザーズ」の方が簡単だ。

おそらくヨッシーアイランドDSはあくまでスーパーファミコン時代の前作を引き継いだ作品なのだろう。当時任天堂が選んだ管理された安全なエンタテインメント性は、「優しさ」ではありながら最終的には「易しさ」ではなかったのだ。当時任天堂はゲームをどこまでも管理するということについて、安全なものでありながら、しかし極めようとすればかなりハイレベルな難易度である、という回答をしたのだと思う。これは96年のNINTENDO64からゲームキューブに至るまでの任天堂のイメージにそのまま重ねていい。

だからこのゲームが、任天堂が昨今展開している、かつてのゲーム層を呼び戻そうとする戦略から外れているのは明らかだ。ゲームのプレイ感が、スーパーファミコン時代を知る人にとってなじみのあるものだと言えるからである。Newスーパーマリオブラザーズにはそれが感じられない。あれはもっと前の世代、最初に「スーパーマリオブラザーズ」をプレイした人たちへ、ゲームの爽快感を再び味わわせることを念頭に置いている。しかし今となっては、見た目はファンシーでプレイするとそこそこハードであるという、ヨッシーアイランドDSのようなゲームにもまた「かつての任天堂」という懐かしさを感じることはできるのだ。それもやはり、任天堂が変わってくれたからこそなのだが。

2007.03.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [ゲーム

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