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宇多田ヒカル「Utada Hikaru in Budokan 2004"ヒカルの5"」

どうにも忙しいのが終わらない。このままゴールデンウィーク進行に突入して忙殺されてはかなわないので、週末はゆっくり休む予定。

忙しいので東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生」すら読み進まない。平易な本なのだがとにかく読書時間が細切れになってしまいイライラする。本は一気に読みたい性分なのだ。なにせ集中力も記憶力も足りていないので、中断してしまうと前に何が書いてあったのかサッパリ思い出せなくなる。仕方がないので昨日風呂に持って入り、ようやく一章を読み終えた。ここまでで、もう十分にすべての理屈は提示されていると思う。だからこのブログに何かを書き付けてもいいのだが、せっかく鋭いことが書いてある本なので最後まで付き合ってからにしたい。

しかし、そう考えるのが間違いなのだ。そこに僕の身勝手がある。おかげで、「作品について語ること」はいつまでたっても思い通りにならない。僕が求めているのはスピードと量なのだ。作品に出会うことは生活の中にあるのだから、それを語ることも生活の中に置かなきゃいけない。僕の考えが整理されていまいが、作品と出会ったときに僕が正面から向き合ったという記録でありたい。

ともかく、忙しくなってくると音楽や映像が便利になる。これらは紙メディアに比べて消費するのにかかる時間が圧倒的に短いからだ。いわばプッシュ型であり、しかも生活時間を独占させなくても享受しうる。そんなに積極的に音楽を聴いているつもりはないのだが、このブログのカテゴリーに音楽についての記述が多いかのように見えるのは、音楽というものが簡単に生活に侵入しているからなのかもしれない。

ブログを個々の記事としてのみ読んで、これを個々の作品に対するレビューだとしか思っていない人々には、たぶん永遠に分からないことだろう。

昨日は夕飯を食べて、何か気分を変えてみたくて動画を見ることにした。僕は宇多田ヒカル「Utada Hikaru in Budokan 2004"ヒカルの5"」を発売当時から見たいと思っていたが、結局見ていなかった。TSUTAYA DISCASのサービスに加入したおかげで借りることができた。しかし見始めてわずか3曲目で耐えられなくなり、席を立った。この人は一体どうしたらいいのだろう。宇多田ヒカルを取り巻く状況は常に孤独と誤解で成り立っている。こんなにたくさんのファンが訪れ、彼女が何かを言ってくれるのを笑顔で待ちかまえているのに、彼女はちっとも楽しそうではない。一曲目を歌い終えたときの苦悶の表情が目に焼き付いていて、とても忘れられない。ステージ上でこんなに孤独な人物は岡村靖幸くらいしか見たことがない。彼女は自分はひとりぼっちで寂しいという実感すら得ることができない。寂しいと思えるのは寂しくなかった経験を知る者だけなのである。彼女はそれを知識としてしか知らない。

彼女は歌の上で、感情をぶつけることしかしない。だからあの歌は恐ろしい。山口百恵が「あなたに女の子の一番大切な物をあげるわ」と歌うときと同じように、こんなに純粋にぶつけられる感情に、自分が誠実に対応しきれるかどうかが心配になる。これはメロディや歌詞に感情を乗せるのが上手いのではなく、ただ下手なだけなのである。彼女はほかのやり方を知らないだけだ。最大限の力を出すしかないから、出している。安全弁の使い方は、よく分かっていない。そんな具合だ。

しかし彼女は、自分がぶつけた感情を他人がほぼ全く理解しないということまで知っている。もう期待とか諦めすらなく、「そういうものだ」という理解のみがある。彼女はほかの状況を知らずに「他人とのコミュニケーションってこういうものかな?」という不思議な顔をして超満員の武道館で観客に呼びかける。

ここからずっと送ってる暗号を君はまだ解読できてない

観客は応える。彼女はコミュニケーションが成功しなかったことだけを確認して、次のフレーズを歌い続ける。これは見過ごしてはならないことだ。それなのに、たぶん「繊細な」人たちが、彼女をヒットチャートの常連であり、セレブリティだとか理由を付けてまともに聴こうともせず遠ざけるとすれば全くおめでたいことである。作品が描いていることなんて、何も気にしちゃいない。

僕は彼女を、固唾を呑んで見守ることしかできない。彼女はあまりにも遠すぎる。僕を超えすぎていて、無力感しか味わえない。彼女は誰かがどうにかできるレベルを超えている。岡村靖幸に対して誰も何もできないように。彼女を一生懸命理解しようとしても、「お気持ちはありがたいけど、無理したあげく生半可に理解されても」という顔をしている。そこまでは、わかった。そこまでは結構わかられているんだぜと、誰もがもっと彼女に言ってあげれば少しは喜ぶのだろうか? それすら分からないのだ。

僕は再生を止めてしまった。作品に向き合うのは本当に大変なことなのである。だが僕は尋常ならざる力をもってリリースされた何かに対して、できる限りの言葉を尽くさずに寝て過ごす気はない。

2007.04.06 | | コメント(12) | トラックバック(0) | [音楽] [映像

コメント

説明したくないブログ、といった感じだな。
説明しようと思えばできるのに、あえてそれをしないのは、
読者に次のエントリーを期待させるため、か。
だとすると、内容うんぬんではなく、
自分が長期間楽しめる遊び場を作り出すこと自体が目的とも。
あるいは、単に気が弱いだけか。ん~。
いずれにしても誰かを吊るし上げるほどの腕力は無さそうだが。

2007-04-17 火 19:11:24 | | 女 #- [ 編集]

女さん、コメントありがとうございます!

> 説明したくないブログ、といった感じだな。
> 説明しようと思えばできるのに、あえてそれをしないのは、
> 読者に次のエントリーを期待させるため、か。

大変申し訳ありません!何のことをおっしゃっているのか分かりません。ただ、僕の書く内容が女さんに伝わらないのであれば、僕に文章力が足りないのでしょう。どうも申し訳ありませんでした。しかも、僕には恥ずかしながら女さんのおっしゃる「説明」というのが何を指しているかもわかりませんでした。僕は上記の文章で、どの部分について説明を深めるべきだったということでしょうか?ぜひそれをこそ、ご説明いただけたらありがたいことだなと思います。

または、ひょっとしたらこのブログ全体のテーマについておっしゃっているのかもしれません。今、なるほどそういうことかな、と思えてきました。そうであるなら、つまり僕の問題意識が女さんと共有できていないということがその根底にあるのでしょう。僕が説明不足に取られるとしたら、つまり僕は僕の問題意識を自明のものとして語っているということですね。しかし、でしたら次の記事にご期待いただくよりも、これまでに書かれたぶんをご覧頂くだけでも、それはご理解いただけるのかもしれません。僕ははぐらかしを行うようなことはしない性質なので、それについては保証します。このブログに持たせたい一貫性は1つっきりで、それはどの記事においても備えられるべく書かれています。だから、「説明したくないブログ」というのは、大変失礼ですが、あたらないご意見かなと思うのです。ただ僕は、メタレベルに移行してブログを語れば主張を繰り広げる上で有効なのだとするようなやり方を、否定したいからこそ、(ここでは)こういうやり方を選んでいます。たまになされるブログや読者についての、ひどく直截的な言及について、それを仄めかしであるとして苛立たれることがあるかもしれませんが、そこは僕の主張の入り口のようなもので、つなぎ合わせれば一貫した主張を成すようにしたいのですと申し上げるしかできません。

このブログをやめるときに書こうと思っていたことですが、このブログは、僕がウェブで書いたものの中で、一見するともっともコンサバティブな外観を備えているのだと思います。だからこそ僕という人間を、この記事に含まれた言葉から想像するしかなかった女さんは、そこから僕という人間に気の弱さを想像されて、

> あるいは、単に気が弱いだけか。ん~。
> いずれにしても誰かを吊るし上げるほどの腕力は無さそうだが。

とおっしゃったのだと思います。そう思われた理由は、まさに僕がこの場所で全面的にメタレベルに移行して口幅ったい主張を開始する意志がなさそうだと判断されたからでしょう。しかし僕はこの、まだ皆さんからはコンサバティブにしか見えないやり方を、今自分が行える有効なカウンターだと思っているのです。

ほかのやり方は既に試したからやる必要がない、という理由もあります。それを女さんがご承知でないことはしかたがありません。また「自分が長期間楽しめる遊び場を作り出すこと」という、僕のような人間にはあたらない想像をされてしまうのも、しかたがないことでしょう。しかし僕はここで、まさにそのようにしてコミュニケーションが潰えるブログというものに対して考えているのです。僕はなんとか、その溝を埋められたらいいと思っています。誰かが書いた文章を深く読みこんだり、また自分で対象から受け取った気持ちをつぶさに書き記したり、それから、お互いの考えに触れたりすることは、僕は確かに素晴らしいと思うのです。僕の主張なんて、言ってみればその程度のつまらないことだとも言えます。

おそらく最も用心している人は、僕がカウンターだと思っているこのやり方に対して素知らぬ振りを貫くでしょう。そうすればこのブログは問題なく飲み下せるからです。それが一番簡単です。しかし彼はそれで誤魔化せない、彼は吊られるのだという、僕の読み解き方を誰かは理解するでしょう。僕はいつも、その誰かにさえ伝わればいいと思いながらウェブサイトを作ります。そして今も、ちゃんと手応えを感じています。もう、そういう状況は始まっているのです。

ただただ拙い文章なのが申し訳ありません。上記のように言いながらも、このブログの書きざまは全く下手なのです。もし、真意を受け取っていただけたら望外の喜びです。

2007-04-18 水 06:30:11 | | ソメル #- [ 編集]

ほう。
自身の採用するアプローチがいびつであることには自覚的なわけか。
ならば、やはり、箱庭作成が目的だと結論するしかないな。
未来がstaticでないことが証明されてしまった今となっては、
このようなブログが無意味なのは自明なのだが。

2007-04-25 水 23:13:45 | | 女 #- [ 編集]

女さん、たびたびのコメントありがとうございます!

> 自身の採用するアプローチがいびつであることには自覚的なわけか。
> ならば、やはり、箱庭作成が目的だと結論するしかないな。

自覚的な態度でものを書くならば箱庭を作ろうとしているのだ、とするような考え方は何となく理解できます。僕も、そういうものを作ろうとしたことがありました。しかし今はそういう必要を全く感じていません。どちらかというと今は、我々の至った自覚を越えてなお表現していくということが大きな課題なのだと思っています。それは、このブログにも何度か書いています。それでも自覚に至った次点でそれが箱庭であるとおっしゃるかもしれませんが、いずれにしてもそれは最初に女さんがおっしゃったような「自分の遊び場」というものとは既に別のものだと思っています。

> 未来がstaticでないことが証明されてしまった今となっては、
> このようなブログが無意味なのは自明なのだが。

お言葉を返すようで恐縮ですが、それは分かりかねます。まず「未来がstaticでないことが証明されてしまった」ということです。「未来がstaticではない」という状況をどのように想定されているか短いお言葉の中からは分かりかねますが、僕の想像したものと同じだとすればそれは絶対論の崩壊と、価値が相対的に成り立った上で起こることです。しかしそれはすなわち、「未来がstaticではない」ということ自体が「僕のブログが無意味である」ということの理由には使えないということを意味するはずです。

僕が申し上げたいのは、確かに未来はstaticではないのかもしれない、それは何かを「(絶対的に)無意味だ」と断じることができなくなるという状況なのだ、ということです。しかしこれでは人には物事を判断するにあたって何の指標も持てませんから、人は相対性に準拠した価値観をもって絶対性を行使しようとします。それが、今引用させていただいた女さんのおっしゃった内容です。パラドキシカルなことを申し上げているように感じられるかもしれませんが、パラドキシカルなのは僕ではありません。

全く同じ話を、逆側から語ることもできます。つまり、今は絶対化を否定しえない時代になってしまったということです。未来がstaticでないということは、個々にとっての絶対化が何でも成り立つということを招いたのです。僕は昔それに気づいたとき、あまりのショックに数年間雷に打たれたようにへこたれていました。これは時代が迎えた大きな状況だったと思うので、ひょっとしたら僕と同じように思った人がたくさんあると思います。しかし、その状況でも時間は動くのです。そして、ここで最初に戻るのですが、そうしてすべての「無意味な」状況を眺めていても何も起きませんでした。それで、簡単に言うと、飽きてしまいました。僕はそこから始めて、だからずっといろいろなテキストを作っています。言い換えれば「無意味」も、「いびつ」も、「証明」も、「結論」も、「static」も、「自明」も、この世にはなくなってしまいました。でも困ったことに「今」と「未来」は決してなくなりません。そういう前提からこのブログは書いています。そして、できればご注視頂きたいのですが僕は「ちゃんと手応えを感じています」と書かせていただきました。女さんにも、僕の書く内容に言葉を発していただけました。これは「無意味」なんかじゃないのです。どうもありがとうございます。

2007-04-26 木 17:51:12 | | ソメル #- [ 編集]

過去は、未来からの解釈によって、
いくらでもその姿を変えるものである。

どのようにでも解釈することが出来るがゆえ
解釈すること自体が無意味であると解釈したところで、
解釈からは逃れられないわけだ。
ならば、過去に対しては、できるだけ多くの人を
幸福に導くような解釈を与え続けることが望ましい。
しかし、あなたにはその意思がない。

だから、このブログは無意味なのだ。

2007-04-28 土 19:54:06 | | 女 #- [ 編集]

女さん、またまたコメントありがとうございます!あなたが僕に何かを言ってくれて、とてもうれしいですよ!

> 過去は、未来からの解釈によって、
> いくらでもその姿を変えるものである。
>
> どのようにでも解釈することが出来るがゆえ
> 解釈すること自体が無意味であると解釈したところで、
> 解釈からは逃れられないわけだ。

お説にはまったく賛同できます。そして、あえて口を挟ませていただけば、「解釈」というのは、「逃れる」なんて必要のないものだと言ってしまっていいはずです。もうすっかりそういう時期です。つまり僕はそう言えるからこそ、今、我々は解釈し始めることができると申し上げているのですよ!

> ならば、過去に対しては、できるだけ多くの人を
> 幸福に導くような解釈を与え続けることが望ましい。
> しかし、あなたにはその意思がない。

なぜ僕にその意志がないと思われたのでしょうか?「できるだけ多くの人」とは一体どれだけの、誰でしょう?僕は今、作品に対してそれぞれが誠実であることがもっとも多くの人が幸福になるべき方法だと信じています。といいますか、僕は今誰かがやっている「解釈」こそが人々を幸福に導こうとしていないと考えて、このブログを始めたということをこそ申し上げているつもりです。そもそも、このブログそのものがまさにそういう内容なんです。このブログのタイトルも、その下に書かれた文字も、ここに書かれた宇多田ヒカルについての文章も、それ以外の記事も、そういうことを書いているつもりです。ですから、おっしゃるようなことを僕がやろうとしていない、となさるのは、ちょっと分かりかねます。元々女さんがおっしゃったのは、僕がそれをメタレベルで語らないから「気が弱い」とおっしゃったのだと思ったのですが、違うのでしょうか。申し訳ありませんが、僕についてどういう部分を問題になさっているのかちょっと混乱してきました。

今僕が書いた、誰かがやっている「解釈」とは何でしょうか。それを僕は解釈に見せかけた判断停止みたいなものだと思います。僕はここでそれをやらないで、僕の見た物について、それを咀嚼して、何とか、下手な言葉を弄して語ることを選んでいます。「未来はstaticではない」という未来予測に(全くstaticに)安住してそこから先考えるのをやめて空談を繰り広げるのがいやなのです。なぜならそういう時間をずっと過ごしてきたからです。だから、誰かがそういう思考を持っていたとしても、僕が同じことをしていたくはありません。例えば、僕のブログを誰かが無意味だととったとして、しかしだからといって僕は変わらないでしょう。未来はstaticではないのですから!それとも、何か僕が全体に対してより高いレベルから、まさに上とか下とか言いたい程度の気持ちで誰かを責めようとしていると思われたのでしょうか?

僕のブログは、女さんが書き込みをしてくださったおかげで、ますます無意味ではなくなりました。女さんがいまだこれを僕一人が楽しむための箱庭だと思われるかどうか分かりません。でも、これが箱庭だったとしても、女さんがもう僕の書くことに意味を与えてくださいました。僕にとって僕が書くテキストはそういうものです。僕はブログというものをそうやって使おうと思ったんです。もっとも、僕がそうやってブログを使ったとしても、それで何を思うか、それは最終的には読者に委ねられます。しかしそうであってなお、そこには意味すらあれど、「無意味」などございません。本当に無意味だと感じた人は、眉も動かさずブラウザを閉じるでしょうね。僕はそんな人すら引き受けられるものを作ろうとしています。

さて、ようやく今日から僕もまた記事を書く時間ができました。僕の見たものを語って、僕が何を考えているかを表すのに、僕はこのブログ自体を使います!

2007-04-29 日 07:08:39 | | ソメル #- [ 編集]

女さんが説明しない、というように書いたのは、たとえば、

ブログを個々の作品に対してのレビューとしか思ってない
人にはわからない

といった文のことではないかと思います。上の文自体は、ブログは一人の人が生活の中で書いた文章に過ぎない、過ぎないというのは、文章の裏にそれを書いた人間がいて、その人間も生活に縛られている、みたいな意味かなと思ったんですが、それはその前の文で書いていることと同じですよね。

だから、文章の内容自体が同じことを書いて、わからない、というときに理解の混乱が起こるのではないかと。
僕だって、説明してほしいという気持ちはあるのです。
それは、説明していないというのではなく、ソメルさんにとっては自明なことをいちいち書いてほしいと言うようなもので、それはどうかと自分で思います。

前に七里さんのサイトについたコメントで、上から目線で話すな、見下されているように感じる、みたいなのがあって、それに対する七里さんのコメントは、上も下もありません、あるとすれば、私達は何かを目指して、同じ方向を向いているのです、みたいな、それは、素敵な感じだし、誠実に答えたつもりなのかも知れないけど、見下されているという、コメントの人に対して、プラスの実行力がそれほどなさそうだな、と思ったんです。

ソメルさんが、返答をするとき、ソメルさんのレベルで書いていると、結局はソメルさんのブログを読んでいるのと変わらない、文体は話すようだけど、というふうに感じる人がいるのじゃないですか。

結局、ソメルさんや七里さんのことを同じ人間だと思っていない人は、無理な要求をするのではないかと。

長い上に、読みにくくて、つまらない文章ですいません。
推敲も一切しなかったのです。

2007-06-20 水 11:26:41 | | SAGA #- [ 編集]

SAGAさん、コメントありがとうございます!

ご指摘は、まさに僕がこのブログを始めるときに考えていた内容のひとつだと思います。おおざっぱな言い方をすれば、僕はこのブログをはじめるにあたって、「誰かの言動には何らかの意志があり、それはまずもって尊重されるべきだ」ということを考えていました。これは、まさにSAGAさんがおっしゃる、他人を「同じ人間だと思っていない」人々に対する批判になっています。だからこそ僕はまずこのブログを、形式としてさまざまな作品に込められた意志を感じてみようとするものにしました。そうして、それらから僕が思ったことをしつこいまでに書くものにしました。それによって、読者の方にもその作品はもちろん僕の書いたことに何らかの意志があると考えていただければと思っているわけです。

しかし同時にそれは「言動を解釈するのは受け手の仕事であり、受け手はそれを真摯な姿勢で精一杯やるべきだ」という意味でもあります。僕はインターネットで人々が言葉を操って、お互いを理解すらできずつまらない言い争いばかりを続けているのに飽き飽きしていて、今ここでは別の結果を産み出すことをしたいのです。

僕は読者の方に勝手に僕のそのやり方に付き合わせていますし、そうあってほしいと無理強いしています。その態度を「上から目線」だと感じる人がいるかもしれませんが、そう感じられるのであれば、その気持ちをすら僕に精一杯言葉を尽くして伝えて欲しいと思うのです。このブログが備えている挑発的な態度の理由はそれなのでしょうね。

2007-08-16 木 16:25:27 | | ソメル #- [ 編集]

「精一杯言葉を尽くして伝えて欲しいと思うのです。」
 
ああ、だから、女さんに対して、「あなたが僕に何かを言ってくれて、とてもうれしいのですよ!」と言うのは、なんだろう、皮肉とか嫌味ではなくて、本当なんですね。
 
 コメントに対する返答ありがとうございました。

2007-08-17 金 13:52:46 | | SAGA #- [ 編集]

思いっきり洗脳してやったのにまた復活してきたか。気に入らないな。

「精一杯言葉を尽くして伝えて欲しいから、受け手を挑発する」
というのは、受け手を挑発することの説明にはなっていないだろう。
意味不明な言説で誤魔化すぐらいなら、自分の箱庭を維持するために
受け手を挑発していると素直に書けばいいのに。
「イカれたDJども」という言葉が、挑発するためだけに挿入された
メタファーであることは明白なのに、それを認めたくないとでも?

そもそも自己言及のパラドクスすら超越できない程度の人間が、
他人を挑発したところで、一体何を理解できるというのだ。
受け手を挑発しても得られるものが何もないのであれば、挑発された側が哀れだよ。

2007-08-17 金 22:39:59 | | 女 #- [ 編集]

SAGAさん、コメントありがとうございます!
そうですよ!僕は本当に言葉で分かり合ったりしたいんです。SAGAさんにもコメントをいただいて、僕がそれにレスを付けて、何かお互いに理解しあえたことがあったらいいなと思っています!

2007-08-17 金 23:43:58 | | ソメル #- [ 編集]

女さん、たびたびのコメントありがとうございます!
でも正直を申しまして、女さんのおっしゃることがどうもピンと来ません。洗脳とか復活とかって何のことですか?ぜひおしえてください!

> 受け手を挑発することの説明にはなっていないだろう。
僕の理解力が足りないと思われると思いましたが、これもよくわかりません。僕はいままで読者の方と自分のやっているページについて話をするような環境を望んでいなかったので、掲示板とかコメント欄とかがあっても、意図的にそれがサイト自体とは別のことに使われるようにコントロールしていました。でも今回は女さんからコメントをいただけているので、挑発的なことを書いていてよかったなあ……とか考えているのですよ!

後半の方は「理解できる」「得られる」が誰についての話なのか、やっぱり分からなくなってしまいました。これは僕のことなのかな?「超越できない程度」というのはたぶん僕のことだと思うのだけど、自己言及のパラドクスについてはここでは関係ないなあとも思ってしまいました。失礼な話で恐縮ですが、できたらもうちょっと言葉を増やしてご教示いただけるとうれしいです!

2007-08-17 金 23:58:36 | | ソメル #- [ 編集]

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