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耳をすませば

最近TSUTAYA DISCASのレンタルDVDを借りているという話は何度か書いているが、見るヒマがないので取りあえずXvidにエンコードしてハードディスク内に保存している。だがしかし、動画ファイルになっていても、ヒマがなければ見られないものはやっぱり見られないのである。

仕方がないので風呂で見ることにした。最近はわざと自分で忙しくしているので、時間を有効に使おうという気持ちも大きくなってきている。それで、何でも風呂でやろうとしているのだと思う。昔ならこんなところで、さも時間が惜しいかのように映画を見るなんて、とても嫌だったはずだ。だが今の僕は「だったら見ない方がいい」という判断こそを消極的なものとして退けようとしているのだ。

こうして僕は、Xvidの動画ファイルを携帯動画変換君でMP4にエンコードして、ゲームボーイアドバンスSPに挿したPLAY-YAN microで見ることにしたのだ。風呂の中で。DVDを見るつもりで借りたのに、何だかずいぶん小さい画面になってしまった。しかし僕は「耳をすませば」をそうやって見たのだ。そして、そんな小さな画面で、風呂につかりながらであっても、この映画に感動して泣いたのだった。

僕は風呂で泣くために結果としてこの作品を複製したのだ。そのためにCSSプロテクトを解除しているし、解像度をかなり下げているし、あまつさえゲームボーイアドバンス上で違和感なく映像を表示するために本来16:9の画面の左右を大きくトリミングしている。このコピーは全くオリジナルを傷つけたものだったが、しかし、そのことは僕の感動に何も関係ないと僕は泣きながら思った。しかしカジュアルコピーや著作権についての議論する人の中には、僕が正規のDVDを見ていたら、もっと深く感動しただろうと思う人もいるのである。そういう人は他人の感動がどうこうと言う以前に感受性がおかしくなっているのだと思う。

映画について話をすると、これは作家が誕生する瞬間についての物語だった。作品を生み出すということは、自分に何ができて、未だに何ができないのかをはっきりと自覚することなのだということが描かれている。老人に最初の読者になってもらい、しかし自分が全く思い通りに物語を作ることができなかったと自覚して、「あなたは素敵です」と言われる。そこがこの映画の最大の見せ場である。

どうして変わっちゃうんだろうね
私だって昔は、ずっと素直で優しい子だったのに
本を読んでもね、このごろ前みたいにワクワクしないんだ
こんなふうにさ、うまくいきっこないって
心の中ですぐ誰かが言うんだよね
かわいくないよね

上のセリフには「大人になってしまうことの悲しさ」のようなものが込められているように見える。思春期というテーマが巧みに重ねられているが、しかしこれが単なる青春ものや成長物語ではないのは、彼女がやがて忘れ去られる子供時代の象徴として提示されたはずの「物語」を捨てずに、自ら物語を作り出すことを選択するからだ。

彼女は結局のところ自分の人生が物語として開始されるのをいつまでも待ち続けていた人間で、不思議な猫をどこまでも追いかけたりするのも、それが物語の入り口かもしれないと期待しているからこそだったのだ。しかし当然だが彼女が物語に巻き込まれることはない。現実とは存在するだけで彼女を物語から引き離そうとする手強い相手である。作家になるということは、その劣勢から、彼女がついに自分で新しい物語を紡ぎ出すということなのだ。その瞬間こそが感動的なのである。

いくら本好きとはいえ、ボーイフレンドに触発されて物語の書き手を志すのは、筋の上ではいささか唐突なことにも見えるかもしれない。しかし彼女にはそうする理由があったのだ。彼女が語り出したときに、自分自身を物語の登場人物として夢想したのは当然である。彼女はずっと、自分を物語の中に置きたかったのだ。

この作家の誕生というテーマは、もはや青少年の成長物語という範疇に収まらないだろう。もちろん恋愛劇でもない。むしろそれらは彼女の成したことに比べれば「現実的」すぎるため、ごく曖昧にしか結論が示されない。ラストのプロポーズのやり取りが実に盛り上がりなく、おざなりに終わるのはそんなわけである。

2007.04.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | [アニメ] [ガジェット

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