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STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2007年 05月号

今月の「スタジオ・ボイス」誌の広告企画として、僕の友達の漫画家、西島大介君との対談が掲載されています。前にもちらっと書いたことのある、あれです。

対談は「ALL ABOUT マンガっち」発売の販促記事として企画されたもの。だからといってなぜ僕と対談するのだという意見もありそうなものだが、なかなかどうして「マンガっちとは何か」という本質的な議論ができた。西島大介の描く「マンガっち」マンガが分からない人はぜひその意味を再認識して読み直していただけたら。

この記事は構成を担当させていただき、リードなども書かせていただけたのであれこれと手を加えられてなかなか満足している。ただ実際に話したのはもっと長い内容で、掲載された方は2000字程度に圧縮してある。圧縮前の1万字ロングバージョンを西島君に託したところ、昨日マンガっち2.0にて公開してくれたので、みなさんぜひ読んでください。マンガっちとは何かはもちろん、西島大介という特異な作家が今という時代に何を考えて表現を行っているか、また文化全般が迎えている状況についてなど、広い話題を扱えているのではないかと思う。

雑誌の方は「没後20年・ウォーホルの子供たち」ということでポップアートについて考え直せる内容になっている。ポップアートの「ポップ」という言葉には本来、かなりの毒気が湛えられているべきだと僕は思うが、アートの世界というのは難しいもので、結局はポップという言葉自体が分かりやすいキーワードとしてまさにポップな消費をされてしまう。ポップな消費感覚を体現しようとしたのは作品だったが、真に消費されたのは言葉なのだ。先日ワタリウム美術館で「マイクロポップの時代」のイベントを拝聴したときにも思ったが、美学というものはプリミティブな感覚を追い求めているのに、それを語る者は解釈とカテゴライズにやっきにならざるを得ないということがしばしばあると思う。アートの世界が難しいというのはそういう意味である。

話が逸れたが、この号の特集で最も「これはいい」と感じたのはスケシンことスケートシングがCBSのロゴKLFのロゴを「ポップなもの」として挙げていたことだ。これは僕のポップに対するイメージと全く同じで、とても共感できた。こういう狂ったクールさが本来の意味を離れて流通してしまう感覚、そしてそれを「ポップだ」として受け止められる感覚こそがポップだと僕は捉えているんだけど、そういう考え方をしているとますます、ただCBSのステッカーをノートパソコンや机の引き出しやスクーターにベタベタ貼りまくってだけいたいという衝動にかられる。僕はポップなんてそれでいい、中学生的なカッコいいという感覚でいい、と思ってしまう。結局のところ僕には美学のことなんて全く分からないのだ。ポップアートはそんな僕でも許してくれるから好きだ。本来はたぶんそうなのだ。

2007.04.13 | | コメント(0) | トラックバック(0) |

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