犬神家の一族
近くのドトールで本を読んでいたら20時過ぎには店を閉めるという。持っていた本をあと3分の1くらいで読み終わるところだったので何だかしゃくに障り、遠くにあるスターバックスまで走って行って、そこで読み終えた。
読んでいたのは「犬神家の一族」である。この本はずいぶん前に電車で読むために買ったが、最初の数ページしか読まないうちに電車に乗らないようになってしまい、以来読んでいなかった。この有名な金田一耕助のシリーズを僕は全く読んだことがない。そもそも僕は松本清張と横溝正史の区別も付かないほどミステリのことを知らない。金田一についても、今回読み直すことにしてようやく「そういえば最近、映画化されたんだっけ」と気づくといった調子で、ともかくお話にならない。この本を本棚から引き抜いたのだって、つまり全く気まぐれだった。
読むと実際、全く僕が言うまでもないことだが、たいへん面白い。話の筋はあまりに有名だし、仕掛けの明かな伏線がずいぶんと持って回った言い回しで語られる。どうかするとこの物語について「ありきたりなものだ」と言う人がいてもいいと思う。だが、それをおいても松子という女がすごく悪くて怖くて、小説の登場人物として実にカッコよく書けていると思う。特筆すべきなのは三姉妹が青沼菊乃をリンチするシーンで、作者はこの残虐な描写を延々と松子の口から語らせる。この文章には変態的な執着が感じられて一字一句引用したいぐらいに素晴らしい。これに比べれば惨殺された死体の描写などさっぱりしたものだと思う。個人的には女三人が猟奇趣味などみじんも感じさせず、ひとえに悪意だけで女一人を責めているところが今どきにすればむしろ新鮮でよかった。
最初の方で作者は「この物語の主人公は珠世である」みたいなことを書いていたが、悪意に満ちた三姉妹に比べれば珠世なんてちっとも面白くない人物だ。面白くないだけでなく、実質彼女は主人公とは言えない。作者は最初、彼女に美しさだけでなく神秘的なものをちらつかせていて、金田一はずいぶん翻弄されるし、彼の推理が至らない部分に対して珠世は軽蔑の眼差しすら投げかける。たしかに、この物語全体を眺めているかのごとき態度からしても彼女は物語の鍵になっているとは言えるのだ。ところが物語の最後の最後で、結局のところ彼女が見せていた輝きは佐清に対する愛情から発せられるものだったという実につまらない種明かしがされてしまう。しかも愛情は、それが向かう先である佐清自身によって裏切られるのである。
作者は珠世の神秘などつまり張り子の虎であるということをほとんど計画的に描いているのではないかと思わせる。例えば、物語の冒頭で超然としていたはずの珠世は、徐々にただの古風な小説に出てくる美しい乙女にされてしまうのだ。ついには佐智に拐かされ、クロロホルムみたいなものをかがされて「あ、あ、あああああ……」とか何とか、実にステロタイプに気を失ってしまうのである。これでは主人公どころか、誘拐されるヒロインとして典型的である。金田一耕助が主人公ではないことは全く明らかであるが、だからといって珠世もまた主人公ではないのだ。
それにしても佐清である。彼だって全く主人公ではないが、しかしこの物語の意味は彼に表れている。この話が何であったかというと、つまり佐清だけは意識の上でずっと戦中を引きずっていたという話なのだ。彼は「誇りと責任感」というものをずっと信じていた。戦中の「誇りと責任感」というのは、要するに家族から国家までをすべてひとつなぎにしたうえで、自分が帰属するその団体の一員として責任を持つべきだ、というようなものである。それを信じるゆえに、彼は戦場で犯した失敗に罪の意識を感じながら復員したが、戦後においてはもはや彼の失敗など罪でも何でもなかった。しかし彼にはそれが分からないから、復員しても家の名誉を守るためであれば人殺しの後始末だってするし、愛する女の首でも絞めるのである。
珠世が全く呑気なのはここで、家を守るために自分の首に手をかけたような奴と結婚するなどと言い出すのである。本来、遺言状が効力を持つ以前からすべては彼女に委ねられていて、どのように物語を選ぶことも可能だったのだ。にもかかわらず彼女は、男がもはや存在しない「戦中」を守ろうとして右往左往したさまを十分に見た上でも、「ふつつかものでございますけれど……」などと言ってその伴侶になると言うのである。金田一は佐清に
と言うが、本当によく考えるべきなのは珠世の方である。あなたはあるひとをかばうために、珠世さんの魂を殺そうとしたも同然ですよ。よく考えなければいけませんね。
しかしそれでも珠世が佐清を愛するならば、ついに珠世はその美と共に神秘的な力を発揮していたわけではなく、佐清を愛するだけの女である。家のために自分を利用した男に失望する女性だって世の中にはもちろんいるが、ここで描かれるのは自分の愛情を貫く女性であった。それは松子とも一致する。彼女は、息子が戦場で犯した罪を聞き、それが重大なものではないとわかってにっこりと笑う。彼女は悪く醜いが、息子の無事をいつでも願い続けている姿は強く美しい。僕には、ひょっとすると最初から、戦中からだって、二人の女性には「誇りと責任感」なんてどうでもよかったかもしれないとすら思えた。彼女たちはいつだって佐清に最大限の愛情を注ぐことができた。長年をかけて「誇りと責任感」にこだわっていたのは男ばかりなのだ。作者はそのこだわりを「純情」と呼んで讃えるが、しかし作者自身が指摘するように、その純情こそがこの事件のろくでもない引き金になっている。
2007.05.05 | | コメント(2) | トラックバック(0) | [文章] [映像]